美しさについて自分が語るなんて、へんだろ、その前に自分の部屋をかたづけろよ、とワタクシ自身も思わなくはない。
こんなこと「やめとけばいいのに」という内容なのかもしれないけど、でも、ネットで見ても誰も書いていないようだし、わが無人島暮らしなりに、いっぱつ思ったことを正直に書いて流してみます。
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まず、写真を。
これはただのGoogleキャプチャーにすぎませんが……
このふたつ、全くちがうと感じませんか?
上の写真は、とてもいい感じ。こういう自然の中なら、少し高くてもホテルに宿泊してのんびりしたくなる。
場所は北米、僕がリスペクトしているギタリストのウィル・アッカーマン氏が少年時代を過ごしたニューハンプシャーの風景です。ここから少し道を入ったところにWindham Hill Innという素敵なリゾートホテルがあるんですが、そこまではGoogleカメラが入っていなくて、その近くの道。
ただの田舎道なのに、なんでこんなに美しいの!!
それに対して、下の写真は、日本のどこにでもある観光地の入り口的な交差点。杉林、赤いのぼり、電信柱……。
なんか気分が下がりませんか。萌えたい心も、なえてしまいませんか。悲しくなるのは僕だけですか。
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今回、このページで自分があえて主張したいのは「杉の人工林の醜さ」です。
スギ花粉被害のことはよく言われるし、自分もそこは強く主張したいことですが、それだけではないと思う。
はっきり言って、杉って、なんか樹木として美しくない。
たとえば上のニューハンプシャーの風景に、一本、三角のかたちの杉が植わっていたら? イメージすると、それだけですべてがだいなしになる。
たとえてみれば、西洋の優雅なホテルに、工事現場の作業服姿の男が入りこんできた、みたいな。
人の社会では、TPO的にそれはダメとはっきりしているけれど、自然風景も同じじゃないかな、と思うのです。
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こういうことに自分が興味を持ったのは(というか、持たざるを得なかったのは)石川県の温泉地を舞台にした「花咲くいろは」を見たから。
前半は、ただのドタバタ元気少女アニメかと思いましたが、だんだん舞台の喜翠荘の魅力に取りつかれて、後半は胸が痛くなりっぱなしでした。
「花咲くいろは」プロモーションビデオ
テレビシリーズを見終わったあと、劇場版もネットで見ましたが、正直、ストーリーなんてどうでもいいくらい、いつものあのメンバーが喜翠荘にいる、という、ただそれだけで、涙があふれるほどに愛おしい。
僕自身、父の郷里が能登であり、祖父は旅館経営も少し関わっており、幼少のころにその記憶はある、という個人的な事情もなくはないんですが、それにしても、喜翠荘のような良きものが、客が減って落ちぶれていくのは、我がことのように心から悲しくなってしまう。
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モデルになった旅館は、金沢兼六園から5キロほど山に入ったところにある湯涌温泉にあった白雲楼ホテルという名旅館とのこと。
で、この山道が、そのまま富山にぬける山の街道で、じつはその富山側にこのアニメを作った制作会社ピーエーワークス本社があるわけですが(車で一時間ほどの近さ)、昔だったらこのルートで富山湾のおいしい魚を運び込むのに最適だったでしょう。
金沢にほど近い奥座敷、良い湯、富山湾の美味。
(富山湾は水深が深く、冷たく栄養豊富な水が滞留しており、夏でも脂ののっためちゃウマのハマチがとれます!!)
そんな名旅館も、平成の世は、他の温泉に客を取られて斜陽となり、文化財指定までされた白雲楼ホテルのすばらしい建物も、経営倒産後、解体となったのでした。
アニメでなじんだ喜翠荘を、今はもう、現実に見に行くことはできないのです。
Googleで見ると、均されて何もない丘の上の空き地があるだけ、泣きたくなるほど悲しくなってしまう。
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アニメの中でも「新勢力が広告宣伝力を駆使して客を奪っていく」という描き方がなされていて、確かに加賀温泉や、七尾の和倉温泉とか、人目をひくはでなやり方をしていなくもないとは思うけれど、でも、あらためてGoogleで見てみると、気がついたことがありました。
なにより「客の集うリゾートは、自然の風景が美しい」と。
加賀温泉には、山側には鶴仙渓などの美しい自然が残されているし、湖沿いの大胆な風景も魅力。
和倉温泉は七尾湾の雄大な風景と一体化がすばらしい。
逆に、廃れていく温泉地って、おそらく石川県に限らずどこもそうだと思うのですが、いくら旅館自体はがんばっていたり、街の風景は温泉協会的に整えられていたとしても、近くの山は杉林だったり。
見た目に殺風景な杉林。
森に色の変化もない。
風でゆれる風情もない。
秋の紅葉もない。
しかも春は花粉だらけ。
極論すれば、工業地帯の中で観光旅館をやっている、に等しいと自分には感じられる。
これではいくら女将・スタッフががんばってみても……
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もちろん、美しい森を取りもどすなんて、簡単にできることではありません。
でも、そこをやらないと、日本の地方再生は、なしようがないと自分には思えてしまう。
美しい森があってこそ、人も、動物も、集まる。
文化人も集い、都会にはないその土地のよさが研かれ、独自の発展をしていく。
美しくない森を針葉樹植林で作ってしまえば、人も動物も去る。
旅館でいいサービスをしても、紅葉もなく四季の叙情もなければ、客は来なくなる。
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よく言われるのは、杉は緑の砂漠、ということ。
手入れがなされない杉林は、枝が密集して、下に全く光が届かず、下草がなくなり、保水力も無く「緑の砂漠」と化すと。
そういった環境問題、そして花粉の健康被害のことは、すでにいろいろいわれています。
それぞれに大きな問題なのは明らかなんだけど、でも、それだけじゃないと思う。
なにより「美しくない」という問題。
なんか杉って、作業員的というか、短パン五分刈りに白ランニング的というか。
もちろん作業員だって、短パン五分刈りに白ランニングだって、必要な場はあるし、相応しいところもある。
でも、リゾート地の風景になれるものじゃない。
ぶっちゃけ、紅葉しない木を植えまくるほど、日本で景観をぶちこわすことはないと思う。
ここ、もっと真剣に考えるべき。
花粉発生が少ない新品種だから杉を植えていい、という問題じゃない。
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ところで、オーディオ好きなら知っている英国タンノイというスピーカーメーカーがあるんですが、ふと「その本社はどんなところにあるんだろう」と気になってGoogleで見てみたことがあります。すごかったのです。
タンノイは「オーケストラを鳴らすなら右に出るものなし」という大型名作スピーカーを作ってきた伝統あるメーカーなのですが、本社があるコートブリッジを確認してみたら、その街の風景の美しさったら!!
やっぱいい音が作られるところは、街そのものが美しい、と納得してしまった。
これはその近くの運河の公園の風景なんですが、ただのGoogleスクショとは思えなくないですか?
これ、このまま絵はがきにして売れてしまうと思いませんか?
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日本にも、美しい自然がないとは言わないけれど、もっと美しくなるといいし、それはまちがいなく可能なことだと思う。
戦後の復興期にあわてて杉を大量に植林した、そのことは理解するけれど、これからは日本らしい紅葉の美しい森を、もっと広げていくべきと自分は強く思います。
ていうか、地方が都会に勝つには、美しい自然しかない。
美しい自然こそ、圧倒的なもの。
心に、刺さるのです。