December 2021年12月
メリークリスマスです。
先日動画にしてみたバッハBWV998 プレリュードですが
録音しなおしてブログ記事にしてみましたよ。
2021年締めくくり、バッハBWV998プレリュードなどを弾いてみた
ブログにファイルを貼るだけでいいのか、YouTubeの方がいいのか、
よくわからないけど、どちらにしても完成とはいえないわけですから
今のところはどちらでもいいかな、と思ってみたり。
YouTube版のよさは、いちおう最後まで止まらずに
丁寧に弾けていること、それはたしかに成長の証。
しかしあたらめて聞くと「お子様カレー」みたいだな、
っておもっちった。
うちのラミレスが目指すのはこんなつまんねえ演奏じゃない!!
と考え直して、気持ちこめて弾くようになり、
今日あらためて録音したのがブログでアップした方。
だいぶ大人の演奏っすよ。
結果的には、お子様カレーでまとめてから、本気の演奏に
という順番は、正しかったのかもしれない。
まあ、まだまだですが。
そもそもこの曲の難所はこのあとのフーガやアレグロだし。
ブログついでに、また、出たとこ勝負録音でジブリも一つ載せてみた。
あきらかに下手だけど、でも、やっぱういういしい気持ちがあふれてる。
練習でこなれる前の生々しさって、やっぱり自分は好きだな。
November 2021年11月
昨夜は雨が上がったということで
例の入間の湯に自転車で出かけたんだけど
帰りにまた雨が降り始めて
最初は「どうせ風呂上がりだし濡れてもへっちゃら」と走っていたけど
さすがにそれも無理な本降りになってしまった。
夜の道の軒先に入ってあまやどりとなったわけですが
まだ帰り10キロあるんですけど・・・
さいわいiPhoneで雨雲情報を確認してみたら、
広い範囲ではなく、局所的な雨雲みたい。
雨の森のトトロのように
一人たたずんで待ったのでした。
で、そこで思い出されてきたのが
最近ネットで聞いたドボルザークのチェロ協奏曲。
モノクロだけど、ジャクリーヌ・デュプリの狂気せまるチェロと、
そのジャクリーヌと結婚するバレンボイムの指揮。
三楽章の出だしで気合い入りすぎてチェロの弦を切ってしまうというハプニングがあって
知っている人にとっては、わりと有名な動画なんだと思います。
ドボルザークのチェロ協奏曲は、よくない演奏だとマジで退屈なんですよね。
だいたい協奏曲といいながら、ソリストチェロが最初の音を出すまで3分以上
短めの曲一曲ぶんくらいのオーケストラ前奏があるし、
終盤は協奏曲の典型に反して、静かにおだやかに展開されていくし。
でも、有名な「遠き山に日は落ちて」のメロディみたいな
わかりやすく心に入ってくるドボルザークらしいメロディも多くて
あとは、気合いかな、と。
そのデュプレのチェロ演奏を思い出し
夜道にふりしきる雨音の中でうなり続けてしまった。
開拓当時のアメリカ。
欧州の古い宗教のしきたりから脱して自由を求めてたどり着いたはいいが、
自由のたがが外れた人々はバッファローや原住民を虐殺し富を得る、
世界から黒人を集めて奴隷にしてしまう、
そのどうしょうもない人間性に直面しながらも
人としての文明の明かりを灯そうとする・・・
ワーグナーの「タンホイザー」もそうですけど
本当に英雄らしいメロディってものは、
どうしょうもなくだらしなくて、絶望的な悲劇のうえにこそ
なりたつ美なのかもしれません・・・
と、ひとり、11月の夜、雨の中で考えてみたり。
そして、この名演を残したデュプレは
20代後半に多発性硬化症となって指が動かなくなり
42歳で人生を閉じてしまう。
残されたチェロ、ストラディヴァリウス “ダヴィドフ”は
ヨーヨーマが引き継いでバレンボイムとも名演を行っています。
マの音でわかります、デュプレと同じ音だ、って・・・
October 2021年10月
昨日は午後からサイクリング。
選挙の不在者投票のために引っ越し前の市の投票所に行くようもあったし、
最近雨が多くてあまり走れてなかったし。
西所沢の部屋からだいたい行程50キロでした。
まあそれはいいんですが、問題は入間市、
そこの湯が好きで最近よく行くわけですが・・・
地図で見るだけだとわからなかったんだけど、
入間はすごく坂が多い。
というか丘と谷(川)が多い。
仏子の武蔵野音大が山の上にあるのは知っていたけど、もっと東でも
たとえば地図で見ると普通に国道沿いのラーメン店なのに、
いってみたら見上げるような丘の上にあって
「天空のラーメン店か」と思ってしまったり。
(もちろん裏の道からなら普通にいけます)
自動車ならアクセルを踏むだけの坂道でも
ロードとはいえ自転車だとなかなか大変。
「やっと越えた、なかなかのヒルクライム」と思ったら
急に下りになって、川を越えたら、また坂が前に立ち塞がったり。
あらかじめ地図でルートを選び「住宅地なら大丈夫だろう」と
すっかり普通の平坦な住宅地を思い描いていたら、
行ってみたらそこもアップダウンの連続だったし。
でもまあ、それだけ山に近いということでもあって、
じつは入間にある巨大銭湯がすごかった。
料金は450円で普通の銭湯と同じだし、天然温泉でもないし、
ただ地下水をわかしているだけなんだけど
その地下水が本物、ヘタな温泉よりずっといい。
湯はいいけど、距離のわりに、疲れる・・・
でも、昨日の帰りに、やっと理解した。
入間には「町屋通り」という、古い木造民家が散見される道があって
そこがいちばん傾斜が緩やかなんですね。
つまり昔の時代に人馬が行き来したルート。
もともと都の北西は、川越が中心地だった。
入間あたりは全然ぱっとしなかったみたいなんですが、
江戸に高級材木を下ろして青梅が財をなすことで、
川越-青梅ルートが重要になり、それで中間地点の入間も
町屋(商店)が並び栄えた、ということみたいです。
次は午前中から出発して、入間の先の飯能までいってみたいところ。
アニメ「山のススメ」の聖地にして、なぜかムーミン押しの飯能。
自転車だからこそ感じられる昔の人の流れを探って。
September 2021年9月
とりあえず引っ越しのための準備は順調にすすみ、
あとは直前に段ボール入れするくらい。
引っ越しって、時間もお金も労力もかかるから
あまりするべきではないとずっと思い込んでいたけど
案外、これはこれで良いことかも。
なんか「観光気分」ってこともあるんですよね。
人間って、初めての地に住んで一年間は旅人という持論があって、
春の風も、夏の暑さも、秋の心地よさも、冬の冷たさも、
その土地で経験することが初めてのうちは、まだ心が旅人、
二度目の季節を迎えてやっと「なじんだ」と実感しはじめる。
まあ、それが三度目、四度目となるとマンネリ化するんだけど
二度目満了前に別の新しいところに移動というのは
ひとつの「旅のスタイル」と言ってもいい気がする。
本当はこの調子で、北欧やオーストラリアにも
住んでみたいけど・・・
今度のところは家賃が安いので
春に短期間の花粉脱出は可能かもしれない。
とにかく新コロナが早く落ちついてくれるよう祈るばかり!!
August 2021年8月
ここしばらくギター合宿みたいな日々です。
ギタープログみたいなものを作ってしまったら
やっばり自分がうまくなきゃ話にならん、という本質が
誰にいわれずとも自然と身に迫ってきてしまって。
で、まあとりあえず BWV998 プレリュード・フーガ・アレグロでもやるか
と軽い気持ちではじめたわけですが・・・
ところが、これがとんでもなかった。
わりと明るくのどかな曲想なので、ずっと個人的になめてた曲なんですが
ただ明るいだけで、じつはとんでもなく深かった。
まず、この曲はなんなのか、と考えて、
子だくさんで奥さんを愛していた「バッハの日常」と気がつくと
バーッとイメージが広がって、自分の子供時代の実家の記憶とも重なって
涙が止まらなくなってみたり。
「いや、これすごいじゃん」とあらためてネットを調べたら
なんと有名なセルシェルがパリコンクールで歴史的な優勝をしたとき、
その演奏曲がこれだったんですね、全く知らなかった。
世界最難関コンクールの優勝者が弾くほど難曲ですか?
と、わたくしも最初は思ってしまったけど・・・
速弾きのテクニック的には、より見せ場があるものがバッハ曲にもあるんだけど
それらは無伴奏バイオリンや無伴奏チェロからの編曲で、
和声はついていながらも基本的には単旋律楽器用なんですね。
このBWV998は、もとがチェンバロ曲なのて、根っからの副旋律楽曲。
伴奏としての低音ではなく、第二旋律としての低音、
これをしっかり弾くというのは、速弾きとは別次元の難しさ。
そもそも何度聞いても、何度弾いても「頭がついていかない」のです。
そしてこの「頭がついていかない」という感覚こそ
バッハがバッハたる所以ですよね。
たとえばもとがバイオリン曲のシャコンヌは
感動的な名曲だけど、ほとんど頭はついていきます。
しかしこっちはついていかないのじゃ。
練習というか、もう考えてもしかたないので
丁寧にくり返し続けて、バカな脳を育てるしかない、って感じ。
ただ不思議なことに、なれてくると考えなくても弾けるようにはなってくる。
ていうか、むしろ考えると止まるし。
思考を差し込まず、右脳だけで音楽とたわむれる世界。
そんなことが、この曲の先に広がっている。
この曲が本物だからこそでしょう。
なんか、ほんと、すごい。
なかなか自分のものにならない絶望に押しつぶされそうになりながらも、
こんなすごいものに触れられる、という喜びは
贅沢なほど感じている今年の夏です。
July 2021年7月
ギターブログを書いてみたら
“やっぱり自分がちゃんと弾けないと話にならない”
という気分になってきて
今は夏のギター合宿状態なのです。
朝から晩までバッハとバリオス。
しかし楽器というのは不思議なもので
意識を高く持って練習していると
やはりどんどん上達するのがわかる。
ていうか、もともとがヘタすぎただけとも言えますが(^_^;)
7月には録音チャレンジと思っていたけど
まだしばらくは試行錯誤が続きそうです。
バッハのフーガでは、
一つ一つの音を楽譜どおり伸ばすと
全くべつの音楽になるのがわかるし。
いちおう楽譜の音(頭)は出ていても、指がきつくて持続はできていない
というところは、じつはいっぱいあって、
そういうところを一か所ずつ練習してつぶしていく。
うまくできるようになってくると
そこから浮き上がるハーモニーが気持ちいい・・・
とりあえずしばらくはギター練習の夏。
みなさんも良い夏を!!
June 2021年6月
このところブログ更新ばかりしていましたが
今日は短篇小説3本リライトアップしました。
まあしょせん短篇だし
メチャクチャすごいということはないにしても
でも、やっぱり小説は小説でいいものです。
三本続けて読んだら、最後は泣けてしまった。
自分としては、どうしてもライトノベルっぽい作品は苦手。
マンガを読むのが苦手なのと同じ感覚かも。
自分がなじむのは、古くはアップダイクやブローディガン、
最近だとアン・タイラーやジュンパ・ラヒリみたいな、
行間がきっちりと詰まっていて
文芸作品らしい良心的な”重み”がある方もの。
メグ・ライアンの映画で「ジファーソニアン」という言葉が出てきたけど
読書を愛する知的な良心みたいな感じですね。
まあ自分は読書という行為自体はあまり愛してはいないですけど、
文学に良質なものを求める気持ちについては、わりと理解しているつもり。
そういう方向性が、今の日本のネットでどうなのか、
正直、まったくわかりませんけど、
自分なりに良いと感じることを形にして発信するのは
無意味なことではないと思うのです。
まだまだアップしたい過去作品はたくさんあるので
しばらくはこのリライト作業も他と並行してやっていく予定です。
よろしくお願いします!!
May 2021年5月
今日はいろいろやることあるつもりだったのに、
昼過ぎから自分が書いた長編を読み始めたらとまらなくて
気がついたら夜10時すぎてた(^_^;)
ギターを弾くことすらせず
途中、納豆ご飯を食べただけで。
まあ、読みながら若干の修正もしつつだったから
時間がかかるのはしかたがないけど
休日一日、これでぶっ飛んでしまった。
でも、やっぱり、たくさん泣いて、感動して、
スポーツのあとのようにすっきりサッパリ。
最近話題のオリンピック関連のえらい人が
東京に来て一泊300万円の部屋に泊まるとかいわれてますけど
では、その300万円の部屋に一週間連泊していいから
君が書いた小説体験を全部明け渡してもらおう
と、もし神さまが言ってきたら、僕は即お断りする。
そんなことで交換できるほど、安い経験ではない。
……そんなことを、あらためて強く考えてしまった。
今は「ノベルアップ」という自作小説投稿サイトに載せていますが
ギターブログの公開が始まったら、
この長編もこちらのホームページに移行したいです。
クラシックギターに興味がある人にこそ読んでいただきたいから。
しかし、書くことより、移行することの方が
面倒に感じてしまう自分がいる……
しかたないか(笑)
April 2021年4月
小説と並行して、ブログ記事を書き始めているのですが
いざ書こうとしてみると、なかなか奥が深くて
これはこれで時間がかかりそう。
この日記みたいなやつは、まあ好きに書いちゃえばいいんだけど
アフリエイトとして報奨金が発生する商品リンクまで
視野に入れて文章を書くとなると
やっぱり、いいかげんなことはかけないし。
でも、クラシックギターにしても、アトピーにしても、
自分がかかわって、苦しんで、多くの時間を費やしてきたことは
書くこといっぱいある。
そのへん、いったん全部吐き出して、精査して
記事として公開するのは、やっぱ一ヶ月仕事になるのかな・・・
でも、こういうのって、おそらくがんばったらがんばったぶんだけ
多くの人に役に立つものになっていくだろうし、
それは間接的に自分の報償としてもかえってくること。
こういうシステムが存在する時代に生きていることに感謝です。
でも、小説のリライトとか、ブログばかりじゃなく、
ギターの練習ももっとしたい、とか思ってみたりしてね。
ところで、ふと新作宇宙戦艦ヤマトを見てしまった。
自分は松本零士監督の旧作ファンで
新作はちょっと見て「これはちょっと」と避けていたんだけど
いざ見続けてみると、これはこれでたっぷり工夫が追加されていて
すごい力作と理解してしまった。
特に当時の音楽が、今でもゼンゼンありなのは嬉しかった。
新展開もわくわくして面白かったけれど
でも、やっぱり、何か満たされないものが……
それが何なのか、自分にはよくわからないし、
案外、新しい森雪の魅力のなさ、という
一点だけのことなのかもしれないけれど。
麻上洋子さんの魅力って、確かにあったなとあらためて思う。
「あまり声なんか出したくないのに、無理して出すと甘い声になっちゃう
むしろこれは問題なのよ!!」みたいな。
今のクリアなデジタル音響で
そんなアナログ演技はそもそも無理なのかもしれないですが。
すっきり通る声ばかりがいい声だとは自分は思わないけど
そんなの自分だけかな……(^_^;)