導師グーゼリの『なんでも相談所』

 

導師グーゼリの『なんでも相談所』 

 導師グーゼリの『なんでも相談所』に、新しい患者が訪ねてきた。今回は30歳を過ぎたばかりのスタイルのいい女性。キリッとした眼差し、スッキリしたあごのライン、身長はやや高い方。理想的な肉の付き方は、ウエストやヒップ、ミニスカートから伸びた長い脚まで一貫している。作られた美しさではなく、生まれ持った素質が常人とかけ離れていることは、誰が見ても一目瞭然だった。

 初めての来訪者として、まずは受付から。
 そこはビルの一階に間借りした小さな相談所だったが、いちおうOL風の受付嬢は待機しており、新患の女性に対して「正規の医療行為ではなく、健康保険の適用外であること」を説明した。
 さらに料金の概算表を示し、十分な了承が得られると、名前や住所などを記入する受付票、悩みの概要を書く問診票、そして誓約書、以上三枚の紙を取り出し、クリップ付きのボードに乗せて、ボールペンと共に差し出した。
「三枚あります。ソファーにおかけになってお書きください」
「えっと、これ、全部書かなくちゃダメなの?」
「受付票と、誓約書のサインは、必ずお願いします。問診票は、とりあえず書けるところまで結構です。どうしてもということなら空白のままでもかまいません。あとは先生が直接うかがいますので」
「だよね。私、こういうの書くの、すごく苦手で」
 美女が無表情で紙をめくると、誓約書にはこのような文言が大きな文字で印刷されていた。

〔当相談所での治療行為は、互いの信用の上に成り立つものであり、その結果がどのようなものになろうとも、全ての責任は相談者本人にあり、『なんでも相談所』には一切の責任が発生しないことを了承します〕

「わかってるわよ、そんなこと」
 と、つぶやいてサインすると、誓約書だけ先に受付嬢に渡し、残りの紙と筆記具を持ってソファーに移動した。
 爪に施したネイルアートのせいか、あるいはもともとそういう字を書く人なのか、外見とはそぐわない幼児っぽい筆跡でなげやりに書き込んでいく。
 終わった用紙を受付嬢に戻すと(問診票は○×式の簡単なところだけを記入して)、ソファーで10分ほど待たされた後、適度に太い男性の声で「こちらにどうぞ」と呼ばれた。
「私?」
 美女が首を傾げると、受付嬢は診察室への扉を手で示した。

◆ ◆ ◆

「さ。どうぞ、お座りください。あなたは、今日が初めてですね。ではまず名前を決めましょう」
 と、導師グーゼリは丁寧な口調で言った。
「え、名前ですか?」
 本物の病院の診察室のようなサッパリとした部屋に通されて、スチール製の折り畳み椅子に腰掛けた彼女は、いぶかしげに質問した。
「問診とか、書きましたよ。そこにありませんか? それ、私の名前なんですけど」
「もちろん、それはそうなのですが、ここでの相談をしていくにあたって、現実の名前とは別の名前を持つことに意味があるんです。距離を作りたいですからね。あなたは、ここでは『ノー』と呼ぶことにしましょう」
「え、ノー、ですかぁ?」
「はい、ノーさん。この、現実離れした感じが、逆にいいのです。あえて、そういう名前にさせていただきます。で、私は導師グーゼリ。私のことは、どうやってお知りになりましたか?」
「偶然、インターネットで」
「なるほど。『偶然、インターネットで』……しかしね、それは、あなたが間違っています」
「はあ?」
 と彼女は、いきなりの否定に目を丸くした。
「ここにあなたが来たのは、偶然なんかじゃありませんよ。あなたに限らず、多くの人が誤解することですが、我々は偶然によって患者様と会うわけではないのです。もちろん、必然とか、運命とか、そんなニセ宗教みたいなことを言いたいわけではありませんよ。ただ、ここには『意味』があるということ。そこを、まず感謝して、しっかり受けとめていただきたい。もちろん、私に感謝しろと言っているわけではありません。ここにノーさんがいらっしゃったこと、その行為には大きな意味がある、そのことにたいして、です。いいですか、これは最も重要なことです。あなたは今日の来訪に感謝し、私も一人の導師として未熟ながらも全力で相談に乗らせていただく。あなたも本気。私も本気。ここは、そういう場であることを、まずご理解ください」
「は、はい……」
 すると受付嬢が「失礼します」と、白いティーセットとクッキーの皿をトレーに乗せて入ってきた。
 ノーは驚いた表情をしたが、グーゼリは「ありがとう、そこに」と当然のこととして頷いた。
 サイドテーブルにおかれた二つの白いティーカップに、陶器のポットから紅茶がそそがれ、上品な香りが広がる。ノーは少しすすり「美味しい」と頷くと、すぐに導師に向き直った。
「でもね、先生がそこまでおっしゃるなら言いますけど、私、本当に治ることなんか、期待していいんですか? 治るんですか?」
「当たり前です。ノーさんは、そのためにここにいらっしゃった。熱があるとか、お腹が痛いとか、そんなことじゃないんでしょ? わかっています。安心してください。ここは、あなたのような苦しみをかかえた方がいらっしゃるところなのです。外ではヘンに思われるかもしれませんが、ここではそれが当たり前なんです。本当ですよ。ですから、どうか、安心して欲しいし、むしろ私は導師として、楽しみにしているんです。だって、あなたの悩みが本物であればあるほど、私が関わることの意味が大きい、ということになりますからね。さあ、ノーさん、そのクッキーもどうぞ。人はね、美味しいものを口にしながら語り合うと、自然と心がなごむものです。これは臨床心理学の常道ってやつです」
 クッキーをかじったノーは、再び「美味しい」とつぶやいた。
「でしょ? そこはビシッと、妥協なく、とびきり美味しいものを選んでますよ。なんと言っても、私はプロの『導師』ですからね」

 受付嬢が頭を下げて退室すると、ノーの告白が始まった。
「私、はっきり言って、死にたいんです」
「うん、それは、まあ、そういうものかもしれませんね」
「聞いてもらえますか? 私、子供が四人いるんです。みんな父親が違うんです。だって、男を信じても、いつも捨てられるから、仕方がないじゃないですか」
「そうですね、男はバカですからね」

「でしょ? 私が悪いわけじゃないんです。むしろ、私が純粋すぎるから、いつも男にだまされて。せっかく信じてみても、最悪の人生を続けるなら、別れた方がいいってなるじゃないですか?」
「ずいぶん『真面目に』考えてらっしゃるんですね、ノーさん。で、本当はどうなの?」
「ホントウ?」
「男と長続きしない理由です」
「わかりません。わかったら、こんなとこに来てません」
「お子さんがいらっしゃるんですね。子供は好き? 愛している?」
「どうだろう。両方。愛しているといえば愛しているけど、めんどくさいだけって気もする。めんどくさいですよね、子供なんて。いなくなってもらった方がどんなにましか」
「で、今の男関係は?」
「いません。いい男なんて、どこにもいない」
「でも『つきあっている人』はいるんでしょ?」
「つきあっている? 私、まだ男を信じてもいいの? ねえ、先生、どうなの、そこのところ。マジでそこが知りたいの」
「ノーさんは、最近、よく眠れていますか?」
「薬があるからね……それとも、それ、男と寝てるかっていう意味?」
「いや、純粋に睡眠のことです。いずれ性交渉に関してもお話をうかがうかもしれませんが、今日はまだ早いでしょう。ところで、ノーさんは、お急ぎですか? もし、人生のぐちゃぐちゃが待ったなしなら、今ここでセックスの話をうかがい始めてもいいのですが」
「そんなこと話して参考になんの?」
「いや、セックスに関してはおおむね私の個人的な興味かな。ノーさんは、子供を四人も産んだとは信じられないプロポーションですね」
「先生も私と寝たい? べつに私はいいけど、費用は払わないわよ」
「いえいえ。そういうことではないんです、私の興味、というのはね。まあ、全く興味がないわけではないけれど、するわけじゃない、というスタンス。これが知っておいてもらいたい第二の注意点です
「……」
 ノーは首を傾げて考え込んだ。
「ノーさん、私はね、導師として、いわばあなたの人生を預かる。それはセックスと同じなのです。私はあなたの心を抱きしめ、感じるところをなでさする。それが仕事なのです。疑問に思うことなどありません。だから遠慮なくさらけ出してもらいたい。わかりますか?」
「ずいぶんエッチな表現ですね」
 ノーはおかしそうに笑った。
「そもそも、人と人の関わりとは、そういうことなのです。世の中の普通の皆さんは自覚していらっしゃらないかもしれませんが、治療でも他のことでも、人と深く関わるということは、すべてセックスと同じです」
「そうね。そうだよね。やっぱり導師先生、いいこと言うわ」

 しかしノーさんの問題もそこにあります、と導師グーゼリは初日にして最初に結論づけた。

◆ ◆ ◆

「では、ノーさん、まず、最近の話からうかがわせてください」
「でも、秘密厳守は大丈夫? マジ、超ヤバイ話だし」
「もちろんです。そのためにこそノーさんは安からぬ料金を払ってくださる。私は全力で相談に乗らせていただく。当然のことじゃないでしょうか? くり返しますが、私は『本気』ですよ。プロとして、真剣です。自由に語ってみてください。一切、遠慮などいりません。あなたはそのためにお金を払ったの出すから」
「ええっと、今つきあっている彼、金回りいいから親しくなったけど、本当は麻薬の売人だったの。こんな話でもオーケー?」
 導師グーゼリは笑みを浮かべて「もちろん」と優しくうなずいた。
「あいつね、仕事してないのに金があるから何かあると思ってたけど、最初は『親の資産』とかってウソを信じて、ていうか、そんなこと、どうでもいいからスルーして、でも、あいつ、私にも薦めてくるから、商品だからたくさんはダメだぞって言いながら、そんで、長女もいっしょにヤク吸って、エッチして……」
「娘さんと3Pですか?」
「ちがうの。ダンナの、じゃなくて、彼の友達って人が、娘と『したい』っていうから、いろいろあったんだけど、あいつ、キョヒって、えらい問題になって、さんざん。もー、なんのために生んだと思ってんのよ、バカ」
「娘さん、いくつ?」
「中三。中三って、いくつだっけ?」
「14歳ぐらいですかね」
「そう、14歳くらい。ロミオとジュリエットなら、りっぱに妊娠して結婚してる」
「妊娠して、結婚? それ、順番がおかしくないですか?」
「ははは、それは私だね。ねえ、私って、バカかな? バカだから、ダメなのかな? でも、もしそうだったら、それは私の責任じゃないよね。だって、私、バカなんだから。バカって、罪なのかな? だったら早く逮捕して、死刑にしてもらった方がいい」
「ごめんね、ノーさん。そういう話もあとで聞くから、『麻薬の彼』の話、もう少し続けてみてくれませんか?」
「べつに、これ以上話すことなんてないわよ。基本、気持ちよくないし。ただ薬に頼ってるだけ。でも、つかまるときはいっしょだよって言ってるの。愛よね。私、彼となら死んでもいいかな、って思ってる。だって、私、どうでもいい女だし、あいつもどうでもいいやつだから。だいたい、なんで生きてるかっていうと、死ぬのが怖いだけなのよ。おくびょうなの、二人とも。えらそうなこと言ったって、あいつなんか、これっぽっちも役にたたないダメ男なのよ。だから早く別れようって言ってるの。そしたら、あいつ『別れるときは俺から言う』だって。死んでいいよ、ってハナシ。だから私、あいつの言うことなんて、絶対に信用しないって決めてるの。むこうだって、私の言うことなんか全く信用してないかもしんないけどね。つまり、利用しているのはこっちだ、ってこと。だから、あいつなんて、どうでもいいの。こんなハナシ、もう終わり。いい?」
「では、その彼と、子供たちの関係は上手くいっている?」
「ごめん、導師先生、そんな難しいこと、答えられない。なんなら、うち来る? 見るしかないよ、そんなこと」
「みんな、一緒に住んでいるの?」
「三人目は父親が都内だから、半分そっちに住んでて、末の女の子を連れて行ってる。少し、私も感謝してるの。彼は真面目な人だったんだ。私がこんなだから、嫌気がさしちゃって。真面目な男って、ダメね。いちいちうるさくて、そりゃあ、私のために言ってくれてるのはわかるんだけど、いいかげんにしろっちゅうの。だから、しかたがないわけ。わかる、先生?」
「その真面目な人というのは、三人目の子供のお父さんなんだね?」
「たぶんね。だって、そんなこと、私にわかるわけないじゃない。どうしても知りたかったら、神さまに質問してください、ってハナシ」
「顔とか性格が似ているんじゃないの?」
「ははは。私とは似ているよ」
「自分と似ている子供がいるって、どう?」
「知らないわよ、そんなこと。私が望んだんじゃないし、私に責任とれって言われたって、なにもできない」
「子供は、みんな女の子?」
「そうなのよ。これって、なに? 呪いかなにか?」
 望んで生まれたわけではない『親と同質の新生物』が、どんどん増殖している状況、と導師グーゼリは心の中で分析した。

◆ ◆ ◆

「結論から申し上げましょう」と、導師グーゼリは姿勢を正して言った。
「お願いします、先生」
「私は、あなたを救ってあげる。絶対に救ってあげます。私はこう見えても一流帝都大学を出ている純然たる学識者なんです。知識も、経験もある。そういう私から見て、今のあなたの状況というのは、特に珍しいことではありません。もちろん、世間一般から見たら、あり得ない混乱かもしれませんが、私は普段からあなたのような人と、導師と患者としてたくさんおつき合いさせていただいている。そんな中で、けっして特殊なケースとは言えません。だから安心して欲しいし、はっきり『絶対に救う』断言できるわけです。本当に、あなたはここに来てよかった。他のところだったら、決してこうは言ってもらえなかったでしょう。私だから言えるんです。『珍しくない』『絶対救う』なんてことは。そうでしょ? とりあえず、次回の予約を受付でして、またいらしてください。くり返しますが、本当に絶対、大丈夫。保証します。あなたの人生はこれからです。自信を持ってください。私がちゃんと救ってあげますからね。では、また」

 2

「導師グーゼリ先生、こんにちは」
「おや、今日は機嫌がよさそうですね。何かいいことでもありましたか?」
「聞いてくれます? 私、結婚するんです」
 ノーは、少女のように瞳を輝かせて言った。
「だからね、過去をきちんと清算しようと思って、これからはそういう方向で相談に乗ってもらえたら嬉しいな」
「具体的には、子供たちのことですね?」
「どこかに預けようと思うんですけど、何かいいアイディアってないですか?」
「う~ん、申し訳ないけれど、子供たちを預かることに関しては、私は専門外なので、何もアドバイスはしてあげられないですね。ただ、ノーさん自身はどうなのですか? 子供たちを手放すことには躊躇しませんか?」
「私、どうしょうもない母親って感じだけど、できることなら、いなくなって欲しいな、というのが正直なところ。邪魔だ、って言いたいわけじゃないの。ただどうしても、今の彼のことを考えると……」
「今の彼は、何をなさっている人?」
「中古車販売業です。でも、ハイウェイの横で店を開いているようなちんけな仕事じゃなくて、直接金持ちに買い付けに言ったり、大手に流したり、わりとフリーで仕事をしているって感じ。あつかっているものが高級品なのね。まあ、自由な感じの人。おたがい自由で、やっと理想の人に巡り会えたのかな、って感じてる。ほんと、冗談でなく、やっぱり『赤い糸』ってあるんだなぁと思ったり。でも、そんな人だから、子供たちのことは以前の父親がそれぞれちゃんとめんどうを見るべきだと言うわけ。すごくもっともなことだと思うんだけど、だいたいみんなもう自分の家庭を持ってたりするし『もう一人そっちで育てて』とペットみたいに渡せればそれにこしたことないんだけど」
「素晴らしいじゃありませんか」
 と導師クーゼリは力強く頷いた。
「そう?」
「その状況で、いっきに過去を清算できたら、あなたの心の問題は解決したも同然です。私も影ながら、ノーさんの四人の子供が、それぞれに幸福な生活の場に落ち着き、すくすくと健康に育っていくことを祈っていますよ」
「でも、問題は、あいつらがいっしょにいたがることなの」
「どういうことですか?」
「私といっしょにいたいとは言わないの、あいつら。絶対にそれだけは言わないのに、バラバラになるのは嫌だって言うの。次女が変人で、小説とか読む頭でっかちな子になっちゃって、下の子が学校でいじめられるのをすごく気にして、これじゃあいけない、って言うの。わかってるけど、アンタに言われたくないわよ、って怒鳴りたいけど、それじゃあ、私も親としてのプライドまるつぶれだし。だから言ってやったの、あなたたちの面倒は、ちゃんと素晴らしい人が見てくれるから、心配しないで。ちゃんと『救ってくれる』って断言してくれた人がいるんだから、って。でね、ここの電話番号を教えておいたから、後でかかってくると思う。上手く説明してちょうだい。私、結婚するから、って。だって、私からじゃ、上手く説明できなくて。私、バカだし。それに導師先生は、私のことを『救ってくれる』って約束してくれたんだし」
「いや、ノーさん、悪いんだけど、うちは『一人一件』なの。もし、娘さんと電話で話すことになるなら、別件としてあつかうことになるし、だから料金は二倍になってしまう。もし、四人みんなと話をするとなったら、当然、料金も数倍にはね上がる。それでいいならいいけど、正直、子供はうちの専門外だし、やはりやめた方がいいね。むしろ、私からのアドバイスは『子供たちには自分で判断させなさい』ということ。子供たちのためではなく、あなた自身のために、今は少しでも精神的負担を軽減して、未来をよりよいものにしていくことに専念すべきです。まあ、監禁したり、飢え死にさせたりしたら問題だが、そうでなければ、優先順位を誤らないようにしましょう。
 ついでに、そろそろはっきりと申し上げますが、私から見て、あなたの治療とは『過去を切り捨てること』です。調和するなんてことはあり得ないし、まあ、ごまかし続ける方法はないわけではないと思いますが、私はそんな選択枠は意に介さない。そんなことを、ずるずると続けたって、あなたの人生に意味など存在しません。ここは決断が必要です。過去を切り捨てるのはつらいことなのは当然ですが、真の治療とはそういうことなのです。もう少し時間がかかるだろうと予想していましたが、状況がそういうことになったなら、話が早い。いちおう私も間違いのないよう客観的に調査してみますが、早ければ、次にいらしたときには具体的なアクションの提案をできるでしょう。ノーさんは、あなた自身で新しい人生のスタートの準備を進めてください。くり返しますが、あなたの人生はこれからです。どうか自信を持ってください。私がちゃんと救ってあげますからね。では、また」

 3

「導師グーゼリ先生、こんにちは」
「おや、今日は悩んでいるようですね?」
「長女が熱を出したんです。中学生なんだから自分でちゃんとしなさいって言ってあるだけど」
「言ってあるんだけど……?」
「私、親として、間違っているかな?」
「ノーさん、まず、あなたは大きな考え違いをしています。あなたの治療の大前提は、なんだったか、お忘れですか もう一度、よく考えてみてください」
「えっと、新しい人生のスタート?」
「そう。そして、そのためには?」
「今の彼と幸せになる」
「そう、そのとおりです。ただ、そのためには、何が必要ですか?」
「お金」
「もちろん。で、もう一つ大切なことは?」
「愛?」
「そうです。なにより、誰のための?」
「私……のため?」
「そうです。まさにそのとおり。よくわかっているじゃないですか。心配することは何もありませんよ。ノーさん、あなたはバカなんかじゃありません。その魅力的な外見同様、中身も立派な、尊敬に値する女性です。私は導師としていろんな女性を見てきているが、あなたは中でも一位二位を争うほど賢くまっとうな女性です。プロの私が言うんですよ、どうか自信を持ってください」
「ありがとう、導師先生。私、いつもここに来るとホッとするんです。ちゃんと私のことをわかってくれる人がいるって、嬉しいし、感謝です、心から」
「いやいや、感謝なんて、もったいない。うちは、決まった費用さえいただければ、それ以上のことは何もいりません。もちろん、まだ国から健康保険の適用が認められていないので、ご負担は少なくないのはよく承知していますが、それさえきちんと払っていただければ、もうパーフェクト。それ以上の気持ちは、どうか、ノーさん自身の未来のために、すべてお役立てください」
「で、私、何の相談に来たんだっけ?」
「あなた自身の心の問題、未来の旦那さまのこと、子供という過去の残り物のこと、その三つではありませんか?」
「ですね」
「今まであまり話題にしてきませんでしたが、まあ、それはわざとそうしてきたのですが、あなた自身の心の有り様は、いかがな感じですか?」
「私? 普通だと思いますけど」
「ですよね、わかります。結局、人間というものは、そんなに特殊な内面を持った人とか、罪深い心をかかえた人など、いやしないんです。全て、まあ、ほとんど全ては、後天的に、この腐った世の中が植えつけてしまうものなんです。それがわかれば、あなた自身が罪の意識を抱くことなど何もないのに、結局、世の中は『おまえが悪いんだ』と罪をなすりつける。どっちが悪いんだ、という話ですよ。あなた自身が何も悪くなくても、この歪んで、欲望ばかりの、奇妙な社会は、あなたの行為を狂わせ、狂わせたことに対して、なんの責任もとらない。『狂ったあなたが悪い』と、こうです。ひどい話です。あなた自身は、何も悪くないのに。だから、私はそういうことがわかったら、はっきりと申し上げることにしているんです。『あなたは悪くない、なんの責任もとる必要はない、責任は、とるべき人にとらせよう』って。
 たとえば、若いあなたを出産に導いたのは、あなた自身の決断が全てですか? 『子供は素晴らしい』とか、そういう現実にそぐわない余計なアドバイスをした人、いませんでしたか? だったら、そういう人に責任をとってもらうのが、スジってものではないですか?」
「でも『誰』って特定できない。なんとなくみんなが寄ってたかって、だから。誰に話を持っていけばいいかわかりようない」
「オーケー。ここで、学識者の知恵というものが必要になるわけですが、責任が不特定多数に分散した場合、絶対値ではなく、最大値で判断するのが正解なんですね。つまり、誰に一番責任があるのか、という問題です。その人本人は、あまり大きな関与はしていなかったとしても、全体として最も影響を与えたのだとしたら、まずその人がトップにいるわけで、その人に丸投げするべきです。その人は最大関与者として、全体を受け取る義務があります。そして必要に応じて、責任を他者に分散する作業の責任も負います。もちろん、あなたがその最大関与者であったならば、あなた自身が義務を負わなくてはなりませんが、実際のところ、そうではない。だとしたら、どうでしょう、結論はおのずと見えてきませんか?」
「す、すごいです、導師先生。私、わかりました。ずっと、悩んでいたんです。誰にまかせればいいのか。だって、明確に『誰』って、言い切れなくて。しかたなく全部自分でかかえてきたの。でも、そんな自分は間違っていたのね。……えっと、なんとか値……」
「絶対値ではなく、最大値」
「そう、それ。メモしていいですか?」
「もちろん。そしてあなたは、自ら妊娠することはできない。誰かが、積極的に、あなたにペニスを差し込むことで、新しい命が生まれてきたのであって、それはあなたのせいではありません」
「なるほど。これで、私の人生が大転換すると思います。だって、私が全部背負ってきたことを、そうしなくていいって、導師先生が教えてくれたんだもの。私、バカだから、ちゃんと教わらないとわからないのに、いつも誰も教えてくれなくて。ありがとう、導師先生。こんなことしてくれるの、導師先生だけです。本当に感謝します」

 4

「導師グーゼリ先生、こんにちは」
「おや、今日はだいぶ日焼けしていますね?」
「旅行してきちゃった。ハネムーン、ってやつ」
 導師グーゼリは笑みを浮かべた。
「もう、大丈夫な感じですね」
「今日は、相談はいいんです。ただ、お礼が言いたくて」
「お礼なんて、そんなのどうでもいいです。だって、大切なのは、あなたが幸せになることでしょ? それが一番です。私だって、導師として、それを一番望んでいます」
「おみやげ、持ってきたの」
「そんなん、いいから」
「ごめんなさい、ただのチョコレート。これだけ、気持ちですから、受け取ってください」
「もう、しかたありませんね。ありがとう」

 5

「導師グーゼリ先生……」
「ノーさん、どうされました? 目にクマができていますよ?」
「眠れない。全く。だって、電話かけてくるの、娘たちが。なんでかけてくるわけ? それぞれみんなが幸せになるよう努力すればいいじゃないって言ってるのに、バカなんだから」
「それだけですか?」
「ちがうの。ダンナが麻薬で逮捕されたし、私も逃げているの。ケイタイって、かけると電波で居場所がわかっちゃうんでしょ? だから絶対にかけちゃダメって言ってるのに、自首した方が罪が軽いだとかなんだとか、中学生のくせに親に説教してんじゃないわよ!」
「それは、困りましたね」
「私、はっきり言って、導師先生のこと、好きになっちゃったかもしれない。ここしばらく、あの人との新しい人生のことを考えようとしていたから、自分をごまかそうと必死になっていたけど、でも、本当の気持ちは、ごまかしようがないし、ここに来て確信した。なんか、先生のことを思い出すと、いけるの。私、バカだし、導師先生のいい奥さんにはなれないかもしれないけど、でも、この気持ちだけは、本物というしかないって感じ。ごめんなさい、説明ヘタで。今まで、私、自分が見えなくなるほど人を好きになったことなんて、正直、これが初めてだし。ルール違反なのは、よくわかっている。でも、せめて、私を抱きしめて。私、なにもないの。過去も、未来も、全部捨てる。だから、お願い」

 導師グーゼリは、腕を組んでため息をついた。

「申し訳ありませんが、私とあなたの関係は、あくまで治療のためのものです。もちろん、私だって、あなたには強い魅力を感じますよ。あなたは本当に美しい女性ですからね。しかし、私は誓いました。あなたを『救う』と。そのために全力をつくすと。もし、私が一線を越えてノーさんと関係すれば、ノーさんは私によっては救われない。なぜなら、私は女性ということに関しては、すでに別の人を大切にしているからです。それは絶対的なものであり、申しわけないのですが、ノーさんをもってしても、くつがえせるものではありません」
「でも、なにもしないで、『くつがえらない』とどうしてわかるの? やってみれば、いろいろ話が違ってくるかもしれないじゃない?」
「いやね、あなたはそうやって、よく考えずに『過去』を作ってきた。いろいろやってみて、積み重ねてきた。それが後になって問題となる。でしょ? そろそろ、わかるべきことをわかっていい歳ではありませんか?」
「導師先生は、私が若くないと言いたいのね。ノーはもう、おばさんだと」
「違います。大人だ、といいたいだけです。『大人』とは、どういうことか知っていますか? たくさん経験を経た人のことなんですよ。悪いことではありません、すべてが。だから、安心してください」
「導師先生……私では、ダメ?」
「はい、ダメです」

◆ ◆ ◆

 その後、ノーは警察に逮捕されたが、麻薬取引の主犯とはいえないことから罪は軽かった。
 刑務所から解放されると、タイトなストレッチ素材のTシャツに、生足をまるまま見せたホットパンツ姿で、久しぶりに導師グーゼリの『なんでも相談所』にやってきた。
 イライラした仕草で受付を行い、相談室に通されると、椅子に座るのももどかしそうにいきなり、子供たちと完全に縁を切ったこと、その後から心の出血が止まらないこと、その出血は本気で好きになった導師先生の愛をもってしか止められないことを、両手を握りしめて必死で訴えた。

 しかしグーゼリは、その関係を再び拒否した。
「子供たちを断ち切ったことはよいことです。ここからは、あなた自身の人生を考えていきましょう。ノーさん、私はそのお手伝いをしたい。しかし個人的なおつきあいはできません」
 彼女は、一瞬で感情のコントロールを失い、『なんでも相談所』から走り出て、近くの電車に飛び込んだ。

 スタイルのいいからだが針金のようによじれて、あとから来た鉄輪にウエストが切断された。勢いで頭部がはじけて転がり、急停車した電車の下で肉片がふるえた。

「どうして止めないんだ! なにやってんだ、まったく!」
 と導師グーゼリは受付の女性を怒鳴り散らした。

 事件を知った娘たちがかけつけると
「遅すぎる! 何してたんだ! おまえたちが放っておくから、あの人は自殺してしまったじゃないか! こちらは手をつくして相談に乗っていたというのに、おまえたちのせいでぶちこわしだ!」
 と四人の子供に対して怒鳴った。

 警察がやってくると
「あんたらは麻薬逮捕で関わっていたはずだろ! 何を調べてるんだ! 危険な兆候は明らかだったぞ。まさに警察の不備だ! 職務怠慢にもほどがある。おまえらがあの人を殺したんだ! どう責任をとるんだ!」
 と雷鳴のように怒鳴った。

 さすがに、やってきた刑事たちに対しては、グーゼリも心を落ち着けて説明した。精神のプロとして、論理的に、かつ、自らに責任が降りかからないよう慎重に。
 道義的責任がゼロとは言えないながらも、こういった問題に少なからず踏み込むのが相談所のビジネスであり、ときにはリスクがあることは最初からわかっていることだった。それでもここの相談によって、救われる人がいるのも事実。
「少なくとも、私は今回の件で手をぬいたことはないし、仕事としてベストをつくしたことは、完全に誓うことができます」

 皆が去ると、グーゼリは受付の女性に、ぼそっと「これであの女も解放されて救われたわけだな」とつぶやき、力なく苦笑した。「いつもこんな結末だ。でも、すぐに忘れちゃうんだ、私は。困ったものだ」
「先生、このあとの予約はどうしますか?」
「変更なしでいい。その前に、ちょっと、コーヒーをもらおうかな」
「はい」

 導師グーゼリは、可能な限り、スケジュール通りに相談の仕事をこなした。そして、美人ではないがどんなときでも平常心を保てる受付嬢と「おつかれさま」と別れ、一人、酒を買って、帰路についた。

 ベッドの上で丸めた布団によりかかり、テレビのバラエティを見ながら、ウイスキーを飲む。
 オンザロック用の大きな氷を入れたグラスに、黄金色の酒をなみなみと注ぎ、氷が溶けるまもなく飲み干し、何度も継ぎ足していく。

 心の芯にどっかりと居座る後味の悪さ。

 この嫌な気持ちを、なんとか外に押し出そうと努力するが、結局、こういうことは無理に押し出そうとしても上手くいかないことを、すでに経験からよく知っていた。
 テレビや、新聞や、本や、インターネットでは、ダメなのだ。上書きできない。患者の死という結末となったときは、いつもそうだ。
 こんなときは酒を飲み、いくばくかの時間をやり過ごし、眠ってリセットすることだけが、現実の浄化となる。
 たとえ酒の力を借りすぎといえるほど借りたとしても、眠ってしまえば、もう、夢にまで患者が現れることはない。

 眠りのむこうには、こちら側とは一切関係ない、全く別の世界が存在するのだ。静かで、少し寂しいながらも、誰からも攻撃を受けない、安らかな場所。現実のなにを持ってしても、けっして上書きされることのない心のふるさと。

 記憶の奥にある、母なる存在の心地よさ。

 それだけが、ビジネスとして相談所を営みつづける導師グーゼリの唯一の『資質』だった。