ニンジン


ニンジン

「姉はそういうことには特に心当たりがないって言ってます」
 と、僕は玄関で彼らに説明した。

 どうやってここを知り得たのかわからないが、ぶしつけな男たちは、連絡もなく我が家に直接押しかけてきたのだ。目の前にいるのはスーツ姿の三人。外の黒い車に、まだだれかが乗っているかもしれない。

「君がお姉さんをかばいたい気持ちはよくわかります。けれども、今や社会問題なのですよ。警察も動いているし、テレビのワイドショー関係者も、文字通りチマナコになって行方を捜している。もし、君が何かを知っていて、黙ったまま誰にもしゃべらないとなると、あるいは犯罪に荷担したことになるかもしれない。そういう状況なんです。わかっていますか?」

 言葉の末尾が鋭角的に整えられた話し方で、畳みかけるように強引にしゃべる男。その後ろで、いちいち頷く二人。

「もちろんね、警察なんて信用できない、その気持ちも痛いほどわかる。彼らの善が、犯罪被害者にとっての善とは限らないことは、確かに広く知られているし、今回のような人の命までは関わらない問題において、大して本気の仕事をしてくれないことも事実といわざるを得ない。しかし、だったらなおさら、純粋に被害者への共感を持つ我々こそが、真に力になりうると思うのです。もちろん、君やお姉さんにご迷惑をおかけしないことは固く約束します。絶対です。信用してください」

 ふと、思い出す祖父の名言。「迷惑をかけない、と断言する人に限って、必ず迷惑をかけてくる」
 僕はうつむき、力なくつぶやいた。
「で、もう、いいですか?」

 しゃべり担当の男が、急に不機嫌さをあらわにする。
「いや、まだ、まったく話は終わっていない。『もういい』とはどういうことだよ。もういいもなにも、何も進んでいないだろ? とにかく、君じゃあ話にならないから、お姉さんと直接連絡できるように取りはからってもらいたい。それは何よりも、お姉さん自身のためなのだから。君はまだ理解できていないようだけれど、このまま放置しておくと後で取り返しのつかないことになる。我々は君のお姉さんを真面目に心配しているし、この手助けを妨げる権利は、君にはない」

「手助け、ですか?」

「もちろん。だからわざわざここまで来ているんだ。我々だってヒマじゃないんだよ。やらなきゃならないことはたくさんある。寝る間もないほど忙しい。それでもここに来て、話をしている。この意味、少しは察してくれないと困るな。もちろん、我々の苦労なんて、大した問題ではない。どうでもいいんだ。大切なのは、お姉さんの安全だ。さあ、迷っているひまはない。教えてくれ、君が知っていることを」

 この人たちは、理屈じゃない。話し合っても意味がない。成果が欲しいだけ。要するに姉の居所を知りたいだけなんだ……

「申し訳ありませんが、僕たちの家族の総意として、これ以上の会話は希望しません。もし、あなた方がすぐにこの敷地から立ち退かない場合は、施設占有権に基づき、住居侵入の罪で警察に通報します。よろしいですか?」

 男は両目を大きく見開いた。
「ああ? しせつせんゆうけん? そういうこと? わざわざ親切で来てあげているのに、そういうゲスな対応しかできないの? それはちょっとひどすぎないか? ま、じゃあ、いいよ。それがご希望なら、出ていってあげます。しかしね、おまえが、この前の公道で何があっても知らないからな。施設外での自由は『万人の権利』だ。おまえが一歩家を出たら、何が待っているか、よく想像しておきな。もちろん、姉さんもな。忙しい”お兄さんたち”を『住居侵入』だなんて失礼なやり方であしらったら、あしらったなりのつぐないをしてもらう。そうでないとフェアとは言えないからな。おまえ、言ったよな、『住居侵入』って? 『住居侵入』って言ったんだ、その口で。『住居侵入』だぞ。わかってるのか『住居侵入』の意味を? 善意できてやってる我々を『住居侵入』っていったんだからな。おまえ、全くわかっていない。わかっていないにもほどがある。人の誠意を理解せず、そういう無礼なことを言ったら、それなりのつぐないをさせられるのが正しい社会ってもんだ。学ぶ機会が必要らしいな」
「脅迫ですか?」
「いえいえ、めっそうもございません。『よく考えてください』ってるだけだ。その頭でっかちな脳ミソで、いろいろ考えてみろ。さぞ面白い想像ができるんじゃないか。想像は、脅迫ではなく、むしろエンターティメントだ。後ろから頭を殴られて死んだり、ナイフで首を切られたり。その流れる血をとめる術もなく、意識が遠のき、通報もできず、後悔してもはじまらないと悟る。そういうエンターティメントって、よくある気がするなぁ。ゲーム、とか? 映画も?」
 後ろの男たちが「あるある」と頷く。

 僕は心の中でため息をつく。何より、彼らが優位なのは、ヒマがある、ということだった。忙しい、大うそ。誰よりもヒマな男たち。とてもつきあっていられない。

「わかりました。では、本当のことを言います。あなた方が探している姉とは、僕なんです」
 やつらがじろじろと僕を見る。
「おい、バカなの? せめてもう少しましな嘘をつけよ。そこまでして姉さんをかばいたい気持ちには、ちょっと同情してやりたい気もするが、我々が探している本人がおまえじゃないことは歴然としてるんだよ。声も違うし、顔も違うし、胸もない。そもそも背格好がちがう。我々が探しているのは、おまえではなく、おまえの姉さんなの。わかる? おまえなんかじゃないの」

 ……しかたがない……ですね。

「わかりました。では、お手数ですが、明日、また来てください。同じ時間で、いいです。今すぐには僕も何もこたえられないから。本当に知らないんです。でも、たぶん夜には、ここに戻ってくるか、少なくとも連絡が入ると思います。ちゃんと確認してから、明日には、何らかのお答えを用意しておきます」
「時間が欲しい、ってか?」
「それが僕にできる唯一の方法ですから」
「ま、どういう細工をするか、我々にはわかっちゃっているけど、それも楽しみのうち、ってことかな。一つ言っておくが、手間をとらせればとらせるだけ、つぐないも重くなる。それが世間の常識だってことは、よく知っておいてもらいましょう」
「はい、わかりました」
「『わかりました』か。全然わかってねえみたいだな。言っとくが、我々はしつこいぜ。いくらはぐらかしたって、追いつめる楽しみが増えるだけだし、お前らの償いが大きくなるだけだ。住所を変えるとか、電話番号替えるとか、そんなことをすればすぐに足がつくしな。まあ、楽しませてもらいましょう。明日は、ちゃんと面白いことを聞かせてくれよ。『面白いこと』でなかったら、お兄さんたち、怒っちゃうからな。約束したぞ」

 男たちが笑いながら去っていく。僕はホッとすると同時に、妙な悲しみにとらわれてしまう。本当のところ、だまされているのは彼ら自身なのだ。警察やワイドショーが探している、というシナリオを書いたのは、姉。少なくとも僕はそう理解している。

 そして、その姉とは、やはり私自身なのだ。

 演じる、ということの罪深さ。
 いつも思うことではあるけれど。

 作品という空想の世界だけならばいい。しかし私たち作り手が現実とクロスすることで、現実が漂流をはじめ、狂気じみた騙しあいとなる。
 それは、そういうもの。
 すべて仕事として引き受け、対価を得ている。引き受けることを拒めば、根っこのところから、仕事は他人にわたってしまう。

 私だけに起きている特別なことではない。
 わかっているけれど、なぜか、いつもベーシックに悲しい。

 目の前に、ニンジンをぶら下げられた馬。
 そんな感じだからかな。

 東の摩天楼では、何もかもが、そうやって元気いっぱいにうなりを上げて、走り続けている。
 でも、馬って、本当にそんなに『ニンジン』が好きなのかな?

 そこだけが、わからないんだ、私には。