たつまき
あれは僕が青山通りに近い小さな広告関係の事務所に勤めていたころのことだ。
そこでは企画立案の上司たちのもとで、プレゼン資料やカタログ見本など、雑多な作りものを何でもやらされていた。実際にはこちらで方向性を定めてから、社外デザイナーやライターに依頼してしまうことが多かったが、プロの手で丁寧に仕上げられた作品を受けとるとき、僕は毎回クリスマスイブの子供のように心はずんだものだ。
日本全体としては、戦争や高度成長の20世紀が終わり、いい服を着ながらもどこか場違いでむずむずしている少年のような21世紀という新しい時代を迎えていた。いわゆる”バブル崩壊”からはだいぶ過ぎていたが、まだリーマンショックや原子力発電所事故までは起きていない。
僕はその冬に、偶然、高校時代の知り合いと再会した。それも、三人と、ほぼ同時に。
そんなことは後にも先にも、僕の人生で一度しか経験していないので、よほどの偶然にちがいない。しかしこういうことは起きるときには起きてしまうものらしい。
場所は幕張で開かれていたIT系の展示会。パソコンや、インターフェースや、ソフトウェアなど。定番のデザインソフトや、CADソフトもあれば、医療系ソフトのブースなどもあった。つまり焦点を絞らないごった煮タイプの展示会だった。
僕は仕事で直接関係していたわけではなかったが、勤務時間内でいいので後学のために見ておくように、と上司から指示を受けていた。
その日は自宅から直行する形で、昼頃に展示会場に足を運んだ。グレーのラックスと、黒いハイネックシャツに、ウールのジャケットをはおって。いちおう、ある音楽ソフトのパンフレット製作に関わっていたが、その仕事はこの展示会用というわけではなかった。
会場はとても広く、とてもうるさかった。大手のブースでは、たいがい20席くらいの簡易ステージを作って、ノリのいいBGMと大型ディスプレイでプレゼンテーションを行っていた。仕切る壁もないオープンな状況でそんなものがいくつもあれば、当然、会場全体が大音響に充ちることになる。各ステージの両サイドに設置されたボーズ802は、ここぞとばかりに音を飛ばす。伸びゆくIT業界の熱気を演出していた。
そんな企業ブースのひとつに、高校時代のクラスメートをみかけた。一人なら気がつかなかったかもしれないが、二人同時にいれば間違えようがない。スーツ姿の二人。彼らは同じ会社の人間だった。しかも「同じ会社の社員」ではなく、二人とも経営者だった。
僕が声をかけると「やあ、久しぶり」と笑顔を見せて、すぐに立派な肩書きの名詞をくれたのだが、「オレたち、このあとの昼のプレゼンでなきゃいけないんで、よかったらまた一時すぎに来てくれないか」とのこと。たしかに忙しそうだったので、その場はあとにして、僕はしばらくはデザイン系ソフトのブースでも散策することにした。
すると、そのデザイン系のブースで、もう一人のクラスメートに出会ってしまった。スラリとしたジーンズ姿の女性。かつて男子がこぞって憧れた十和田知美さんだった。見た目もさることながら、芸術系の静かな雰囲気はまちがえようがない。
彼女は高校時代から、完全に別格の存在なのだ。誰もが認める高貴さ。それでいて本人は決して気取らず、優しく穏やかな物腰。美術部に所属し、三年の学祭ではパウル・クレーのような中型サイズの抽象画を三点も展示していた。アクリル絵の具なのにパステルで描いたかのような色彩の空気感は、誰が見ても才能があふれていると感じられるものだった。あの頭抜けた才能と、その横のカードに書かれた『十和田知美』という名前が、僕には例えようもない神秘的な調和と感じられた……
「あれ、西高の知美さんじゃないですか?」
僕が迷いながらも、意を決して彼女に声をかけたのは、会場の中では比較的静かたった某イラストソフトの白いブースでのことだった。
「あら、ノジオさん?」
「やっぱり。偶然だね、元気?」
「ええ。まあ」
そのやわらかな大人の微笑みは、高校時代よりもさらに魅力が増しているように感じられた。
「さっき、ツノッチとタカブーにも会ったよ。信じられないけど、こんな日もあるんだね」
「ほんとに?」
「ああ。すごい偶然だよね。でも、みんな同じ業界ってことなら、ありうるか。ただ、彼ら二人は出店側だから、あまりうろうろできないみたいだけど」
「出店側……?」
「ほら」
と僕は先ほどもらった『取締役』の名刺二つを見せた。
「専務? わあ、すごい」
「まあ、あいつららしいおちゃらけた会社っぽかったけど。知美さんは?」
「私は、見学に来ただけ。書体(フォント)とか」
「デザイナーとして?」
「はい」
「そっか」
デザイナーとしてがんばっているのはいいこと。ただ、画家ではないんだ、という微かな落胆が自分の中でなかったわけではない。
僕たちもまずは礼儀正しく名刺交換した。
「やっぱりね。知美さん、美術部だったものね、憶えてるよ、クレーみたいな独特の絵」
「あれはただ、いろいろ実験してみただけ」
「美大だっけ?」
「ちがう。大学は文学部。だからそのあと専門学校に通って、回り道しちゃったけど、今はなんとか」
と言って自信なさげにうつむく。その姿は不思議なほど昔のままだった。クラス一高貴なのに、クラス一弱い存在。あれから10年以上過ぎているのに、まるでアイドルに会って話をしているかのような心のざわめきが続いてしまう。
僕たちは軽く近状を報告しあってから『重役の二人に昼飯をおごってもらえないか聞いてみよう』という方向で話がまとまった。とりあえず知美さんは午後いっぱいフリーとのこと。僕も職場で作業に集中できるのはたいがい日が暮れてからだったから、久々の再会をみんなで祝っても、酒さえ飲まずに戻れば差し障りない状況だった。
午後一時を過ぎると、僕たちは騒々しい会場を足早に横断し、西の角に陣取っていたポップな色合いのブースに向かった。社名は『りるりる』。ネットワークサービスの新興企業。まあ、あの二人らしい社名と、言えなくもない。さすがに大手ベンダーに並ぶほどの大型ブースではなかったが、それでもちゃんと白いワンピース姿のコンパニオンたちが笑顔でパンフレットを配っていた。僕はその一人に声をかけ、取締役の二人のことを訊(たず)ねた。彼女は少し緊張した表情になり「少々お待ちください」とブースの奥に消えた。
すぐに二人のスーツ姿の男性が現れた。長身のツノッチと、小太りのタカブー。僕は喜びを隠しきれずにさっそく伝えた。
「やあ、お二人さん。大ニュースだよ。さっき偶然、十和田知美さんにも会っちゃった。せっかくの再会だし、忙しいかもしれないけど、みんなでランチとかどう? むり?」
「あ、ほんとだー」とタカブーが吠えた。「知美さんじゃないっすか。元気? ねえ、元気元気?」
「おひさしぶりです」
と、押しの強いタカブーに苦笑しつつ、知美さんは淑やかに頷いた。
のっぽのツノッチは「おまえら二人、つきあっているの?」と僕と知美さんを交互に見て疑問を口にしたが、彼がそんなことを本気で疑っているのか、わざとボケているだけなのか、クールな表情を見ただけではわからなかった。
「いやいや、偶然会っただけって言っただろ。自分は広告の雑用係。彼女は立派なデザイナー」
「ふーん」とツノッチはクールに言い放った。「そうとなっては展示なんてどうでもいいな。どこかにずらかろうか」
「いいの?」
と、いちおう僕なりに心配して疑問を口にした。
「ま、どうせオレたちはここで商売しようってわけじゃないんだ。うちの主戦場はビー・トゥ・シーさ。来賓向けの説明会は終わったし、あとは女子たちがパンフを配ってくれれば万事オッケー」
「あいかわらず、ツノッチはクールだな」
と僕は長身のツノッチを見上げて笑った。
「こいつ、知美さんの前だと、特にクールなんだぜ。でへっ」
と、タカブーが目を丸く見開いて言いはなった。
「おい、ばか、そういう言いかたはやめろ。関係ないんだから。絶対、関係ないわけ。いいか、お互い、大人なんだから、そこのところはキチンとしよう。オーケー?」
クールなツノッチが顔を赤くしている。
それを無視してタカブーが質問した。
「ねえねえ、ところで、知美さーん、まさか今日は、コンパニオンで来たわけじゃないよねぇ?」
知美さんは「むりむり」と苦笑しながら両手を振った。
僕は「バカ者」と、取締役タカブーのたるんだ頬(ほほ)に右ストレートパンチを突き刺した。
四人で会場の外に出ると、目の前にあったタクシー乗り場に向かった。今の時間は客よりもタクシーの数のほうが圧倒的に多かった。一瞬も待つことなく後部ドアが自動で開いた。横幅があるタカブーが「オレ、前いくわ」と助手席のドアを開けて率先して乗り込んだ。あとの三人は後部座となった。奥にツノッチが乗り、まん中に『主役』の知美さん、最後に僕。
「で、このへんって、どうよ?」
と僕が聞くと、前のタカブーが「とりあえず走らせて」と運転手に頼んでから、シートに乗り上がって後ろに身体を向けた。
「まあ、ホテルの中でよければ簡単だけど、他に何かある?」
「『ミワ』っていう喫茶店があるはずなんだけど」と知美さんが言った。「けっこうおしゃれな店で、甘いものがすごく美味しかった。学生時代の思い出の場所」
「ききききき、喫茶店?」
とタカブーの声が裏返った。
「『喫茶店』かあ」とツノッチはロール・プレイング・ゲームの賢者のように頷いた。「妙に懐かしい響きだな。『ミワ』っていう名前も、なんだか知美さんっぽい」
「いや、まあ、いいんだけどね」と僕はわざと東北なまりでしゃべった。「あのね、僕たちね、取締役に美味しいものおごってもらうつもりだったのね。接待って言うの? いわゆる? 交際費を使うなら、今まさにこのとき、と言いたいわけね。わかる、みんな?」
「べつに経費でおごるのはかまわないが」とクールなツノッチ。「ここは知美さんの意向が一番ってことにしよう。それとも、ノジオは普段美味しいもの食べてないのか?」
「そうなの、僕、全然美味しいもの食べれていないね」
「本当に?」
と知美さんに真顔でのぞき込まれてしまうと、僕としてもこれ以上ヘンなことは言えない。東北なまりをやめて、普通に説明した。
「質素に暮らしているからね。僕、まだギタリストの夢をあきらめきれなくて。広告の仕事はバイトなんだ。でも、知美さんが好きな店があるなら、今日はそこに行きたいな」
「場所わかる?」
と助手席のタカブーはすでに決定事項として処理していた。
「私、このへんは詳しいの。もう少し、道なりに真っ直ぐ行ってもらえますか。ファミレスみたいに大きいから、すぐにわかると思います」
「でも、どうして詳しいんだ? 学生時代を過ごしたのはこっちの方じゃなかったろ?」
と、ツノッチが横から首を傾げた。
「たしか知美さんは八王子の大学だったよね。ぜんぜん逆だけど。そのあと仕事で?」
彼女は姿勢を正したまま小さく首を横に振った。
「ちがうの。学生時代の彼氏がこっちだったから」
男三人は、声を合わせて「はっはっは」と笑った。
思い出の店とはそういう意味かい、と少し意地悪に突っ込みたいのはやまやまだったが、知美さんはすでに自分の意向で突っ走っていた。芸術家らしく、ときどき周囲を無視して気持ちが突っ走るのは、いくぶん高校時代の孤高な姿とも通じるものがあり、つまり彼女らしい魅力の一つとも言えて、僕たちは素直に従わざるを得なかった。
ところが、タクシーがそれらしき場所に着くと、あるべき店が見つからなかった。そこにはただ無機質なガラス張りのビジネスビルが建っているだけだった。
知美さんは見た目も明らかに狼狽(ろうばい)し「道に迷ったのかしら」と運転手に助けを求めた。しかし運転手の答えも、やはり否定的なものだった。
「ここに店があったのは憶えているけど、だいぶまえにビルになりましたよ。もう四、五年は経つんじゃないかな。どこかに移転したならそっちにむかうけど、そういう話も聞かないですね」
タクシーはハザードランプを点滅させて道路脇に停車した。
唖然(あぜん)としている知美さんに、ツノッチが「まあ、よくある話さ」と慰めの言葉をかけた。
よくある話。
うん、そうかもしれない。
ある人にとって、それがどんなに特別なことでも。
呆然と前を見つめる知美さん……その間近に見る横顔は、やはり30を過ぎた女性のものだった。つるりとした肌の滑らかさは失われファンデーションでフォローしているのがわかる。
「ちなみに、その彼氏とはどうなったの?」
と僕は、なるべく自然な流れになるように意識しながら質問した。
知美さんは小声で「どうにもならなかった」と答えた。
「ノジオ、おまえ、デリカシーのない質問するなって!」
と、声のでかいタカブーによる振り向きざまの指摘が正しいとわかっただけに、僕は余計にむかついた。
「いいだろ。みんな、人生、いろいろあるんだ。そういうのを含めての再会だろ?」
「ノジオはどうよ」
「僕だって、まあ、彼女ぐらいいたさ」
「ていうか、ノジオの人生なんか聞く前に、どこか店を決めないとな」とタカブーが前に向き直り、一瞬思考してから、運転手に質問した。「駅の北側に蕎麦屋さんがありましたよね? わりと有名な店。藁葺(わらぶ)きの門があって、昔からやっていて。なんでしたっけ?」
「たぶん『早雲』かな」
「この時間、まだやっていますよね?」
「うん、むしろランチの忙しい時間が終わってちょうどいいころかもしれませんね」
「じゃ、そこ、お願いします」
「はいよ」
さすが取締役タカブー。率先して助手席に座るだけのことはある。名店に関しては詳しい。それは認めざるを得ない。
こうしてタクシーは『喫茶店』とは対極の、重厚な日本家屋の門前で止まった。人気店らしいが、時間が遅かったので、入るとすぐに座ることができた。注文してからの待ち時間も長くはなかった。
出てきたのは、まるで今日になって粉を挽いたばかりと思えるほど蕎麦粉が香る蕎麦だった。腰のある麺ではなかったが、なによりも香り最優先で作ってあるのがわかる。食事というよりも、清楚な香りに全身が包まれる、という体験。
蕎麦を味わいながら、みんなが少しずつ人生を報告しあった。知美さんのかつての恋人のことも含めて。まだ全てを過去にするほどの年齢でもなかったが、少なからず語るべき過去はそれぞれに持っていた。ツノッチとタカブー、二人の起業に関しても同様だ。
ゆっくりと蕎麦を食べ終わると、デザートのあんみつを追加注文した。酒のかわりのささやかなぜいたく。テーブルに運ばれてきたのは手作り感たっぷりの陶器の椀に盛られた和風甘味。素朴な喜びが口に広がる。一つ一つがホンモノだった。こうしてピュアで汚れのない昼食で満ち足りて、日本茶をすすりながら昔話をしていると、何だか清流につつまれたかのような気分になった。
ざっと近状を報告しあったところで、ふと時計を見ると、すでに二時半になっていた。
「取締役さんたち、時間、大丈夫?」
と僕が聞くと、二人は残念そうに首を振った。
「うん、そろそろやばいかもな」
「行くか」
タカブーは、転がるように席から離れ、玄関から携帯でタクシー会社に電話してから、ついでに会計も済ませてしまった。
外に出てタクシーを待つあいだ、僕は、ショートコートからのびるスリムジーンズ姿の知美さんの脚を見つめた。ほんのわずかに膝(ひざ)が内向きなところが、いじらしいほど魅力的だ。
そして、ぼそっとつぶやいた。
「知美さん、ひとつ、本当のこと言ってもいいですか?」
「なに?」
「僕、知美さんのこと、好きだったんですよ」
「え?」
「あこがれ、ってやつですけどね。今でもはっきり憶えているのが、文化祭で、絵が展示してあって、そのパウル・クレーみたいな、シンプルで、センスよくて、どこか温かい絵の横に、カードに名前が書いてあって、その絵と『十和田知美』という名前が、むちゃくちゃシンクロして、かっこよくて、僕なんか、芸術は音楽を選んでいたから縁がなかったけど、美術クラスがすごくうらやましくて、たまらない気分だった。まるで、竹を二つに裂くように、うらやましかった」
「その比喩、なんぞ?」
と、タカブーが質問してきた。僕は首を横に振った。
「さあな。わかんないけど、今、なんか、ふと、そんな感じがしてさ。でも、なにせ十和田知美だものね。告白とか、できなくて」
「他の女子なら告白できた?」
本人に眼をのぞかれて、その質問に答えるというのも、不思議な気持ちだった。
「かもしれないけど、こういうの、可能性の話じゃないから」
少し悲しくて不思議な時間が流れた。大切な思い出の喫茶店が、無機質なビルに変わってしまったことと似たタイプの、落としどころのないいたたまれなさが、ふわっと四人全員を包み込んだ。
「だから、聞くけど、今、幸せですか?」
僕の問いに、知美さんはうつむいて、二、三歩進んでから、空の一点を見つめた。
「私、たつまきを見たの。ねえ、信じられる?」
まるでそれが、なんの話の飛躍にもなっていないかのように続けた。
「あんなすごいたつまき、本当にあるんだ、って感心しちゃった。空から龍の胴体みたいなのが下りてきて、地面につながって、いろんなものが吹き飛ばされた」
「それ、日本?」
ツノッチのリアルクエスチョンに、知美さんは肩をすくめて、指で下を指した。
「ここよ」
クールなツノッチが首を傾げる。
「そんなニュースあったっけ?」
「ニュースにはならない。だって私だけだから。見たのは」
知美さんはコートのポケットに両手を入れたまま、肩をすくめて、空を見ながらまぶしそうに目を細めた。
目尻にしわを寄せて、苦笑して。
ばか。
たつまきなんて、そんな比喩はやめよう。
ヘタな比喩だといいたいわけじゃない。抗えない自然現象みたいなのは違うってこと。
知美さんは、もっと自分自身で幸せにならなくちゃいけないんだ。
善良な人類に問答無用で破壊をもたらす、たつまきなんかじゃなくて。
過去がつまった喫茶店を、いまさら探すんじゃなくて。
喫茶店がなくなって四、五年は経つと、あの運転手だって言っていたじゃないか。
「あのさぁ、『りるりる』が上手くいったら、美味いもの、おごるよ。今度は夜にきっちりと集まろう。いいでしょ、ねえねえ」
とタカブーが言った。
「いや、オレたちの会社が上手くいかなくても、たとえどうなっても、また絶対集まろう」
「そうだな。ノジオも知美さんも、いい?」
僕はスーツ姿の二人の問いが、一瞬、理解できなかった
りるりる?
ああ、タカブーとツノッチがやっている会社のことか。
いいよ、と僕は心の中で返答を用意しながらも、紳士らしく知美さんの答えを待った。
「私なんかで、いいの? 本当は、ボロボロなんだよ」
「いいに決まってるだろ」と三人が同時に言い切って、ライバル心に火が点いた。
まあ、実際のところ、タカブーはすでに所帯持ちだし、僕には今はもう大切な人がいたから、可能性があるとしたら離婚したてのツノッチだけだったが。
まあ、現実的に考えても、スラリとしたツノッチなら、知美さんと違和感がなさそうではあった。知美さんがどう受け取るかはわからなかったが。たつまきの破壊の爪痕を、クールなツノッチが修復してあげられるのかどうかもわからなかったが。
タクシーが我々の前に停車すると、タカブーは助手席の扉を開け、うやうやしく頭を下げて知美さんを招いた。
「さあ、知美さん、どうぞ、前へ」
「おいおい、横幅あるやつが前じゃなかったのか?」
と僕は異議を述べた。
「うるさい。二人だけにいい思いはさせられない」
「大人なんだから、そういう下らない発想はやめようよ」「自分が利益になるときだけ大人になってもダメだ、ずるい。いいから、ノジオはさっさと後ろに乗れ」
知美さんに前席をゆずると、男三人は身体を寄せあって窮屈な後部座席に収まった。思考が仕事に戻った取締役の二人は午後の段取りのことを語り合った。僕はそれをいいことに、前の席に座っている知美さんに目を向けた。身体とか、顔ではない。黒髪を分けてあらわになっていた白い耳。その匂い立つような美しさを、このときだけは遠慮なくじっと見つめた。
タクシーは広々とした埋め立て地の道を疾走し、欲望のうずまく巨大な展示場へと戻っていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その後、まだ四人で集まってはいない。
なぜなら、二人の会社は新興IT企業らしく長くは続かず、数年後に大手に吸収されて消えたから。
でも、いつかきっと、再会したい。
四人がそれぞれ、幸せな立場で再会できることを、心から祈っています。