本当の道

本当の道

 慶子が生まれて初めて嘘(うそ)をついたのは、新しく家に来た男を「お父さん」と呼んだときだった。たしかに母親からは「新しいお父さんよ」と教えられたけれど、幼いながらも慶子は本当の父が別にいることを知っていたし、二人目の父が本当の自分の父ではないことも、はっきり理解していた。新しいとか、古いとか、そういう問題ではなかった。本当の父と、父でない男。
 その頃の慶子は、まだ男女がどういうことをして子どもが生まれてくるのかという具体的なことまでは知らなかったけれど、彼女の右目の上にあるほくろと同じものが本当の父にはあったし、形のよい鼻も本当の父から受けいでいた。それらが間違いなく『血のつながり』であることは、小学校に通い始めたばかりだった慶子にも判断できた。「新しいお父さん」には、そういうつながりはなかった。
 子どもなりに嘘を拒もうと慶子は考えたが、母親や、親戚や、新しく一緒に暮らすことになった男からは、こぞって慶子が彼のことを「お父さん」と呼ぶことを期待された。それは、ぼんやりとした淡い期待ではなく、現実にダイレクトに関わる、なまめかしい利害をふくんだ期待であることが、慶子にもひしひしと伝わってきたから、よき子どもとして期待することには応えなくてはならないと考えた慶子は、それが嘘であることを知りながら、新しく来た男を「お父さん」と呼んだ。

 慶子自身の意図ではないし、望んでやったことでもなかったけれど、嘘は嘘だった。
 それが嘘であることを、なによりも慶子自身がきっちりと知っていた。しかも、一度きりのことではない。毎日のように「お父さん」と呼び続ける。一日に何回も。休日になれば、一時間に何回も。ときには数分のうちに何回も。それが嘘であることは。どれだけ時間を経てもかわりはしない。変わっていったのは『嘘になれていくこと』だけだった。

◆ ◆ ◆

 こうして慶子にとって嘘をつくことは特別なことではなくなってしまった。表向きには賢く善良な子女として育った慶子だったが、嘘は平気でよくついた。顔色ひとつ変えずに。
 中学に入ると、クラスメートに成績がよくてリーダーシップもあるスラリとした男子がいた。慶子は「好きです」と告白した。もしもそれが本当に『好き』だったなら、彼女自身も多少は気持ちが動転していただろう。しかし本心としては、特別な感情はなにもないところを、ただ学年で一番かっこいい男子だから、自分のものにしたい、という願望を実現するためだったので、内心の皮肉な思いをクールな笑みにかえて計算高く行動した慶子は、予定通り彼を自分のものにした。
 その男子とは卒業してからもつきあおうと約束した仲だったが、別々の高校に進むとめんどくさくなって、中学時代の彼氏のことは無視した。「あの約束は嘘だったのか」と問われたが、そもそも最初から全て嘘だった慶子としては、見た目以上に内面が幼稚だった男に対して、あわれみを込めて苦笑するしかなかった。
 既に経験のある慶子は、高校でもさらに計算高く行動し、ミスらしいミスをすることもなく、新しい彼氏を自分のものとした。

 嘘というものが、なぜこれほどまで効果的に作用するのか、そのことについては、慶子自身も本当の理由はよくわからないままだった。もちろん女としての外見的資質が優れているということはあったわけだが、それ以上に、そもそも男というものは、女の誠実さより、むしろ女の嘘にこそ魅力を感じる生き物なのかもしれない、と感じた。皮肉な話ではあったが、それが男としての本性なら、そういうものとして認め、利用するしかない。

 計算高く演じることに自信が持てるようになった慶子は、現状に満足せず、さらに高みを目指すことを考え始めた。
 芸能人になる、ということだ。毎日欠かさず体操をつづけてスタイルを整え、カラオケ店に一人で通って発声の訓練をした。何しろ我流のことではあるし、鏡に映る自分に満足いくような結果が反映されているとはいえなかったが、むしろあまり意図的にならず、自分の若さや未熟さをみとめて、恥じらいつつもさらけ出すように意識してみると、いろんなことがするすると上手くいき始めた。
 オーディションに合格し、目元の整形手術の後、水着の写真集を出版した。ほどなくテレビで人気番組のアシスタントをこなすようになり、女優としてドラマに出演するチャンスを得た。
 ドラマの仕事は、慶子自身が予想していた以上に、彼女にぴったりなものだった。現実ではない自分を演じるということ。つまり嘘をつくことが、対価のもらえる仕事になる。プロフィールとして公開された血液型、生年月日、趣味なども、全て嘘だった。嘘こそ、この業界では”仕事”なのだ。多くのスタッフによって、川の流れのように組織的に嘘が作られていく。嘘のために人々が働き、嘘が会社を成り立たせる。小さなプロダクションだけではない。日本のセンターに鎮座する有名広告代理店も、やっていることは同じだった。

 慶子は、まるで水を得た魚のようにいきいきと仕事を続けた。かつて母親が幼い慶子に「新しいお父さんよ。お父さんと呼んで」と嘘を期待したのは、このような仕事で活躍するためだったのかもしれない、とまで考えた。
 慶子は24歳で広告代理店の高給取りと結婚したが、驚いたことに相手は慶子よりも嘘をつくのが上手い男だった。二人の間に子供が生まれ、30歳をこえた慶子は、実は旦那に三人の『ガールフレンド』がいることを知った。本当は四人だったのだが、捨てられた一人が腹を立てて、慶子に全てを暴露したのだ。
 旦那は「仕事上のつきあい」と平然と説明したが、そういう無意味な言い訳よりも、慶子は自分がだまされた事実の方がショックだった。
 浮気が問題なのではない。その男は慶子との結婚を、ただの便宜的な処世術としかとらえていなかった。女優の美しい妻がいるというステイタスが重要であり、夫婦としての信頼など、最初から完全に存在していなかった。つまり彼にとっては「結婚という行為の全てが嘘」だったのだ。
 他のことならいざしらず、嘘で後手に回るなど絶対に許されない、と慶子は唇をかんだ。やはり世の中には、上には上がいるものだ。彼女は自らの甘さを反省し、すぐにその男と離婚した。

 もちろん慶子なりに伏線は用意していた。
 テレビ局のディレクターと入籍したのは、法律で許されている最短の離婚後六ヶ月のことだった。慶子は元旦那の仕打ちに怒り、そのエネルギーを糧に、誰もがうらやむ幸福な人生を歩むことを心に誓った。
 二人目の子供を妊娠した慶子は、もう女優の仕事をしなくなり、代わりにテレビドラマの脚本を書くようになった。テレビ局に勤める新しい旦那が、彼女の文才を見いだしたのだ。もちろん最初から放送で使われたわけではない。旦那が持ち帰ってきた脚本に対して、それを読んだ慶子が述べる意見があまりに的確だったので「いちど自分で書いてみたらどうだろう」と話が広がり、パソコンにむかうようになった。彼女自身、女優の仕事をしていたので、あらためてシナリオの書き方について学ぶ必要はなかった。
 現実ではない人物たちが、現実ではない人間関係の中で右往左往するストーリーを紡ぐこと。嘘の人物が、ドラマの中でも嘘をつく。嘘が重なり、もつれていく。たがいのウソを勘ぐり合う。だましだまされる戦い。
 慶子の才能は開花した。ほどなくレギュラードラマを常に二本は抱える人気脚本家となった。
 金に恵まれ、取材もかねて海外で暮らすことが多くなった慶子に、やがて旦那と、旦那の家族が、強く不満を呈(てい)するようになった。仕事も大切だけれど、母親なのだから家庭も大切にしてもらいたい、と。
 それはそうだ。しかし両方を100パーセント満たすことなど不可能だったし、脚本家としてのステイタスは、家庭的な些事(さじ)よりも明らかに優先されるべきだった。その不満が様々な形で慶子にぶつけられはじめると、彼女はますます海外に逃避するようになった。

 海外で暮らす慶子には、多くの出会いがあった。学生時代に戻ったような気分で、計算高く男性を誘うことを繰り返した。そういう経験は、もちろんドラマのネタとしても活用した。「取材もかねる」という言い訳に正当性があることが、母親としての慶子にとって精神的ないいわけとなった。
 もちろん子供たちのことは、慶子もずっと大切に思っていた。母親としての本能かもしれないし、妊娠して出産したという事実だけは絶対に嘘のつきようがなく、いわばこの世界でそれだけが唯一の揺るぎない真実と呼ぶべきものと感じていた。慶子にとって『父』は最初から嘘を含んだ不純な存在だったが、『母』はいつでもゆるぎなく一人だけだ。慶子と親の関係においても、慶子と二人の子供の関係においても。
 テレビ局に勤める旦那が管理職となり、いよいよ慶子に家庭を大切にするよう強く求めてきたので、慶子は再び離婚することにした。ちょうど才能あるピアニストと親しくなったところだった。

「音楽は、全てが真実です」
 とピアニストは語った。
 これは、慶子にとって、不思議な考え方だった。表現するということは、全て嘘を作ることであるはずなのに、表現を仕事とする人が、全て真実だと語る。真実を語ったら『ドラマ』にはならない。しかしピアニストは、本当の意味で『嘘をつくこと』を知らない、純粋な男だった。
 ある時、二人の間で年齢の話題になった。彼は42歳だと言った。慶子は「偶然ね、私もよ。なーんだ、同じ年だったのね」と答えて微笑んだ。芸能人になったときのプロフィールによれば慶子は43歳だったが、それよりも本当は一歳若いと説明したわけだ。しかし本当の慶子は52歳になっていた。
 慶子なりの作戦として、脚本の仕事で徹夜してピアニストと会うようにした。
「もう、昨日も徹夜なの。若くないのに、疲れちゃって。疲れた顔してるでしょ? ごめんね」
 もちろんピアニストは、その言葉を全てそのまま信じた。
 いよいよピアニストと籍を入れるという段になって、本当の年齢がばれてしまったが、そこでの対応は、既に慶子は考えていたし、練習までしていた。
「ごめんなさい。でもここまできて躊躇(ちゅうちょ)したら、告訴しなくてはなりません。そんなお互いが不幸になるようなこと、イヤでしょ?」
 こうして嘘だらけの日常がスタートした。慶子はピュアなピアニストの心をずたずたにした。慶子が女として衰えていく不満のはけ口としても、絶好の対象だったからだ。
 言っていないことを「だから言っておいたじゃない」と怒り、言ったことを「そんなこと言うわけないじゃない、なに私のせいにしてるの」と怒った。
 ピアニストは慶子からの『いじめ』と呼んでいいストレスに日夜さらされ、心臓を悪くして、人生の最後に天才的な演奏録音を残し、45歳でこの世を去った。

◆ ◆ ◆

 ピアニストが死んでから、慶子は高校生になっていたルックスのいい長男と、ひろびろとした公園にむかった。几帳面な性格の次男は、テレビ局のディレクターの家で暮らしていたから、実質的には一人息子みたいなものだった。
 彼は青空を見上げて「アメリカの大学に行きたい」と慶子に説明した。
「私もアメリカに行こうかな」
 と、慶子は微笑んで言葉を返した。
「母親と一緒なんてイヤだよ」
「じゃあ、私も、学生として応募しようかな」
「バカじゃん。幾つだと思ってるの?」
「アメリカでは50を過ぎたって大学に行く人は行くわよ」
「そういう問題じゃないんだよ」

 考えてみると、確かに慶子は、本当は自分が何をしたいのか、よくわからなかった。美貌(びぼう)と才能に恵まれ、多忙な日々を送ってきた。お腹を痛めた息子だってちゃんと二人いる。母親としてのDNAは引き継いだし、二人の息子はそれぞれ優秀で、しかもこっけいな現実をよく教えてあるから、普通の人よりもはるかにリッチな稼ぎ手になってくれるだろう。老後は心配ないはず。
 しかし、老後について考える自分であることが、慶子は自分でも信じられなかった。自分の人生はまだこれからスタートなのだ、とすら感じていた。それは願望というよりも、本当の人生はまだスタートさえしていない、という内なる実感によるものだった。

「お母さんさ、本当に大学に行ってみようかな」
 慶子が冗談ではなく本気でそう思っていることにあきれた息子は、母親を公園の中心の広々とした芝の丘にみちびいた。初夏の風がたっぷりとした光をゆらめかせ、空には真綿のような雲が浮かんでいた。
「いいところね」
 と慶子は深呼吸をした。
「じゃ、僕、行くから」
 と息子は去って行った。

 慶子はその後ろ姿を、喜びと切なさの混ざり合った気持ちで見つめた。長髪がさまになる、賢くたくましい息子。しかし反抗期で、そろそろ去っていく年頃なのだ。
 仕方がないことなのだ。

 草原にたたずむ慶子は、だんだん全てが幻であると感じ始めた。この世界も、人生も、全て。
 そして心地よい夏風にまどろみながら、慶子が意識しないうちに、いろんなことを忘れていった。
 銀行の暗証番号を忘れ、貸金庫の鍵のありかを忘れ、貸金庫を持っていたことも忘れ、ハワイで買った土地のことも忘れ、三人の旦那の名前も忘れた。
 やがてピュアな輝きの太陽は、汚れた慶子の身体を透明にしていった。少しずつ指が消え、手のひらが消え、腕が消えた。靴の中でも、つま先から消えていき、スカートから伸びる美しい脚も、透明になって消えていった。
 脚が消えそうになったとき、生まれて初めて慶子は、心の底から真剣に焦った。全てが消え去っていくとしても、自分の立脚する部分だけは残ると信じていたからだ。自分の美貌、二人の息子の母親であること、慶子なりに大切にしてきた家族の営み。
 もちろん残る部分はある。しかしそれは慶子が考えていたよりも、はるかに小さなものだった。
 慶子の身体が消えていく。
 美しかった容姿も、豊かだった才能も。

◆ ◆ ◆

 日差しを受けた雪のように消滅していき、やがて慶子の意識だけが、小さな草となって丘に残った。
 南から来る心地よい風は、周囲のたくさんの草と同じように、草になった慶子をなでた。
 慶子には、この現実が信じられなかった。そしてこのような場合に昔からしていたように、嘘だと思うことにした。自分が草になったなんて、嘘だ。私は私であり、他の何ものでもない。嘘をつくことなら得意だ。自分をだますことぐらい、やろうと思えば簡単。そんなこと、仕事でいくらでもやってきた。

 やがて夏の盛りとなり、濃い光があふれ、セミの声が響いた。慶子は草として、生を満喫した。虫に葉を食べられても、母親として母乳をあげているだけなのだ、と自分に嘘をついた。
 夏が終わりに近づき、トンボの群が草原を飛ぶようになっても、慶子は草としての自分を認めようとはしなかった。
 いよいよ季節が秋へと移り、冷たい風がふき、草は枯れる季節となった。慶子は最期のときをむかえた。

 慶子が人生の終わりを自覚すると、急に今まで見えていなかった『本当の道』が、霧が晴れたように目の前に見えてきた。
 贅沢ではないけれど確かな土の匂いのする素晴らしい道。
 人の信頼と、素直な笑顔が、つきることのない泉のようにあふれている道。
 不動の誠実さは、大地に深く根ざし、生きることのかけがえのない美しさを、心から感謝せずにいられない。
 まだ手つかずの人生である『本当の道』は、ちゃんと存在したのだ。
 それも、慶子のすぐそばに。

 それを知ると、いきなり激しい後悔が慶子の身体を槍のようにつらぬいた。今さら道が見えても遅すぎる。慶子がどれほど才能あふれる美女だったとしても、今さらそれを手に入れることなどできない。

 いよいよ死が近づき、意識が薄れていく。そのとき、慶子は急に、全ての答えとなる真実を悟った。

 慶子をだまし続けていたのは、本当は慶子自身だったのだ。なぜなら、そこにある『本当の道』を無視するため。『本当の道』など、この世の中には存在しない、世の中は最低なことばかり、と自分で自分をだましてきた。だからこそ、この瞬間まで『本当の道』に気が付くことはなかった。

 悟りを得た彼女は、全てを受け入れ、安らかな気持ちになった。
 慶子は大切なものを守り通した。『本当の道』に、嘘つきな自分はいない。汚されていないままだから。