インターネットが誕生して半世紀。世界をおおっていた単一のサイバーネットワークはバベルの塔さながらに崩壊し、多数の独立ネットがせめぎ合う時代へと移行していた。
 極東を中心とした中規模ローカルネットのセキュリティを担当する森隊長、ユキオ、サリナのチーム。三人はこの秋の争い(フェスト)において、深刻なダメージを受けてしまう。すぐさま出動した実戦強襲部隊と北へ飛んだが……
 現実(リアル)と仮想現実(マトリックス)の交錯する中、ユキオは多様なハッキングに翻弄されつつも、時空を越えた『つながり』を自覚していく。強欲の交錯するネット空間の彼方にピュアな存在を求めて行動するサイバーストーリー。

-原稿用紙換算425枚。(C)Naoki Hayashi 2009-

注)ルビにするところは《》にしました。
  その他のかっこ『』【】()はそのままで。




Overix
オーべリクス





 

【旧約聖書 創世記 十一章 バベルの塔】
 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」(『新共同訳聖書』)




   序

 かつて若者たちを苦しめていた『学校教育』というものが、電脳を埋め込むことにより大幅に短縮されてから、すでに四半世紀が過ぎた。もちろん電脳ならではのコントロールの難しさや、個人による差異など、まだまだ多くの問題を抱えてはいるが、この人類史的なリニューアル《更新》は不可逆的なものとして認めていくしかないだろう。

 生命と電脳のあいだ……当然のことながら、そこでは予測を超えた事象が珍しくない。

 最近の僕の関心ごとはサイバードリーム《電脳夢》だ。電脳を外部ネットにコネクト《接続》させたまま、居眠りしたときに見る夢のこと。一般的には危険行為とされ、自動で脳が起こされたり、ネット接続を遮断するなど、なんらかのプロテクトが働くようになっているものだが、僕は意図的にその安全装置を解除し、眠りながらオーヴェリクス《公共ネット空間》にさまよい出てみる。

 肉体を消失した純粋意思は、広大なネット空間の中ではあまりにちっぽけで、しばしば言葉にできないほど激しい寂しさに襲われる。寄る辺のない魂の彷徨。あるいはこれこそが死後の世界に近いのかもしれない。無限の空間の中で、リアルの関係が消え、ぽつりと宙に孤立する自分。

 しかしそこで感じるものが『寂しさ』ばかりかというと、必ずしもそうではない。むしろ強烈な寂しさを感じる瞬間ほど、特別に親しい何者かの存在を予感してしまう。重症の片思いを経験した十代初めの頃から、異性を恋しがる感覚は僕にも普通にあったけれど、その想いとネット空間とが無縁ではないと潜在的に悟ったのは、電脳スキルを仕事に活かすようになったここ数年の話だ。

 近頃は恐ろしくリアルに一人の女性が現れることもある。僕は男として彼女を抱きしめる。そして身体だけでなく、人生のパートナーとしての特別な心のながりをも自覚し、互いに相手を思いやる優しさを惜しまない。それほど確かな存在感にも関わらず、サイバードリームから現実に戻れば、それが誰なのか、僕にはどうしてもわからない。
 
 あえてロマンティックな思考をしてしまえば、僕がこの危険なサイバードリームに固執したくなるのは、オーヴェリクスの先に『真の恋人』が実在《●●》しているからかもしれない。いつの日か出会うべき約束の人は、僕とは逆の立場で、同様に寂しさを感じ、同様にまだ見ぬ存在を探り続けている、という可能性。
 
 そんなことはあり得ない?
 サイバードリームがもたらす甘い幻想に過ぎない?
 そうだろうか……




   1 


「おい、ユキオ、ぼけっとしてんじゃねえよ!」
「あ、はい、すみません」
「ちゃんと仕事しろ。三一番からネズミが入り込んでいるじゃねーか」
 僕は森隊長の声に気付かされ、あわてて神経レベルを三一番ゲートに向かってクロスさせた。
「大丈夫です。こいつ、メタ・コードを持っていません。出口パッチをあてておきます。最近、このピッコロっていうパッチがお気に入りなんですよ。シンプルなのに効果てきめん。ほら、すぐ退場。ゼンゼン問題ないっス」
 ここは一二台のコンソール《操作台》が、楕円状に並ぶ電脳作戦室。中央のスペースにネットワーク状況を示す立体映像が大きく浮き上がっている。コンソールには僕と隊長の他に、九体のAIオペレーターが着席し、休憩中のリサ以外の席は全て埋まっていた。
「おまえ、ぼけっと夢とか見てんじゃねえぞ」
「すみません。ただ、サイバードリームについて考えていたんですよ」
「はあ?」
「単純な夢ではなくて、いろいろあるんですけど、むしろ、こういうことこそ『真の愛』と言っていいのかも、なんて」
「誰か好きなやつでもできたのか?」
「いいえ、具体的なことではないんです。最近気になっている潜在的な何かです。それにしても、こんなときに急に思い出すなんてなんでだろう。今日のストリーム《風》に共鳴でもしたのかな」
「おまえ、直感を大切にするのはいいが、余計な妄想してると足をすくわれんぞ」
「そうっスね。でも、対応はしていますよ」
「その速さは認めるがな、しかし、油断はすんな。やつら、今度ばかりは本気だろう。フェスト予告までやりやがって、そんなの、いまどき、はやらないっつーの。おまえもこれから二時間が勝負だってこと、ちゃんと自覚してるよな?」
「そりゃあ、もう、部長に嫌というほどたたき込まれていますってヴぁ」
 僕は苦笑しながら部長の個性的なしゃべり方を思い浮かべた。我々が属するアジア方面中規模ネットNENA(通称「ネナ」New East Network Association)の情報戦部隊を統括するケイリン氏のことだ。
「ユキオくんっ、わかっておるのか、わからんとこまるぞ、たのむぞ、ってか?」
「そんなところです。ところで、隊長は大きなフェストは経験したことってありますか?」
「おまえはねえのか?」
「便乗したことは若気の至りでなくもありませんが、ちゃんとした仕事では初めてです」
「そうか、フェストなんてしばらくなかったからな」
「隊長が経験したのはいつごろ?」
「もう五年くらい前になるな。サイドスリーを名乗るすばしっこいグループに手こずったことがある。赤にこだわるガンダムバカたちだ」
「なんですか、ガンダムって?」
「おまえ、この業界に入って、そんなことも知らねーのか」
「昔のジャパンアニメでしょ? 知らないわけじゃないけど、それと『赤へのこだわり』とどういう関係があるんですか? 共産主義的な思想?」
「全く違うが、説明しているヒマはなさそうだ。おらおら、五六番と七○番が攻撃を受け始めたぞ」
「防壁トラップは?」
「適当でいい」
「てきとう?」
「本物のフェストとなりゃ、んなもんは大して役に立ちゃしねえ」
「役に立ってもらわないと困るんですけど……」
 すぐにオペレーター桂子が「レベルA、侵入されました」と告げた。「同時に本部オートサービスの介入を確認」
「さあ、いよいよ、おいでなすったな。雅美、こっちもセキュリティコントロール最大にしろ。ユキオ、電脳戦用意だ。オーヴェリクスに出て相手を特定するぞ!」
 すぐに熱くなる隊長を横目で見て、僕は肩をすくめた。
「隊長、いくらなんでもまだ早いでしょ。リサも戻ってきてないし、僕だってもうすぐ昼休みです」
「無駄に守るより、攻めて勝つのがオレの流儀だ」
「お気持ちはわかりますけど、でも、休憩は必要っス。『健康第一』っていつも言ってるでしょ。電脳仕事なんてクールじゃないと身が持ちませんって。とりあえずリサが戻るまでは本部にまかせましょうよ」
「うむ……」
 オペレーター由美子が「未確認プログラム、レベルBからFまで侵入」と告げた。
「ほら、ぼやぼやするなよ。ユキオ、やつらのコード変数を特定しろ」
「はいはい。でもなー、特定できないから変数なのになー」
「そんなこと、わかってるっちゅーの!」
「こっちだってわかっていますけどね。えっと、これはパターン『Cの12』。クリミア変数の亜種と思われます」
「『思われます』じゃ戦争にならんだろがぁ」
「だって『変数』ですから」
「ちっ。とりあえずクリーニングだ。装備FRで行くぞ」
「おっと、まってください……こいつら、木馬の一種みたいです」
「はぁ、どうしてわかる?」
「僕の自動検索に引っかかったから」
「んなの、聞いてねーぞ」
「昔、僕たちが仲間で作ったアプリには、ところどころに個人的なワードを仕掛けてあるんです。検索かけとくと、たまにひっかかることがあって」
「それをむこうが使ってきたわけか?」
「部分的に、でしょうがね。ヘタに食いついたら逆解析されますよ。とりあえずユキオ印の『木馬』フラッグを立てておきますね。ほら、ぽちっ、とな。これで誰でもわかります。みなさん安全第一」
「技ありだな。さい先がいいじゃねえか」
「だといいんですけどね」
 
 電脳戦。
 それは様々に進化をとげたコンピューターネットワーク内での争い。
 二〇世紀末に開発され世界に広まったインターネットは、半世紀の進化を経て、ネットワークの分離独立の時代を迎えた。かつてバベルの塔の建設を進めた人類に、神により『言語の分離』がもたらされたように。
 大きなきっかけだったのは一社によるマイクロプロセッサ生産の独占が、特許切れ後に世界に拡散していったことだった。南米から始まった強力なITレジスタンスは、事実上の『世界大戦』の様相を示し、広く深刻な荒廃をもたらした。その後、生身の身体への電脳埋め込みなど、応用分野での技術進歩と時を合わせて表出してきたのが、プロセッサの基本構造を変更してまでも自衛を優先させる鎖国型ネットワークだった。
 一般的にマトリックスと呼ばれるものは、現代ではローカルネットにおけるドメスティックな仮想空間を意味する。
 その一方で、全てをつなぐ公共ネットワークは『オーヴェリクス』(Overix 語源「Over Matrix」)と呼ばれ、自由に存続している。古き良きプロトコル《通信規約》から最新の攻撃型ウイルスまで、様々に混在するオーヴェリクスは、国際治安チームの積極的に介入にも関わらず、広大なオープンフィールド《無法地帯》であり、個人・組織にかかわらず熾烈な戦いが日常的に勃発している。伝説ともなった電脳戦士たちの勇姿や、無敵の防御プログラムで守られた攻殻チームの鬼畜所行も知られるところ。
 現代の電脳戦では、マトリックス、オーヴェリクスとも、三次元のイメージ化が一般的となりつつあり、その戦いは弾丸が飛び交う実際の戦場と酷似している。相手を機能停止に陥れる変数が飛び交い、ときに大型の攻撃プログラムからはじき出されたスーパー変数が、広範囲に混乱を発生させる。
 たとえ攻撃に成功しても楽観はできない。調子に乗って攻め続ければ、自らを露呈し、解析を許し、一瞬で退路を断たれる。
 逆に防壁を突破され、絶体絶命と思われても、いったん古規格のサーバ群に逃げ込み、トラップを仕掛けることで、形勢逆転することもあり得る。
 勢力を広げようと圧力を加えてくる他社や、オーヴェリクスに徘徊する無法者たちから、アジア方面中規模ネットNENAのローカルマトリックスを保守し、常に安全なネット環境を顧客のために提供すること、それが我々電脳戦部隊の基本的な役割だ。

 我々が縁の下で支えるNENAの最近の広告フレーズはこれ。
 (べた塗りアニメ画像で、健やかそうな丸顔の女性が目を輝かせて語る)

   自由と信頼のNENAは
   たくさんの奇跡でできているんだね!


 
 昼の休憩から赤い髪のリサが戻ってきた。
「どう?」
 僕は首を振って「やられた。めちゃめちゃだよ」と答えた。
「まじ?」
「新千葉のメドゥーサが機能停止、箱根のスーパークジラと、上海のシロネコもアウト。他にも三つほどずたずた。遅延は最大40パーセント。いまごろ本社はクレームの嵐ですよ」
「予想していたレベル?」
「誤差の範囲内でしょう。なにせ、NENA本部のエリート防衛隊たちは、とっても優秀ですからね。うちらみたいな、はぐれ者の出る幕じゃありませんよ。ねえ、隊長?」
「うるせえ、休憩終わったやつはとっとと席に着け」
「あらあら、学校の教師みたいね」
 リサはほっそりした肩をすくめた。
「そういうの」と僕は口を挟んだ。「職業差別的発言はよくないと思うよ」
「差別じゃないわ。ただの皮肉」
 長身のリサが専用のコンソールに着席し、赤いロングヘアを両手で黒シャツの後ろに流すと、モニターが自動で状況を表示し始めた。
「ふーん、かなりの手練《てだ》れみたいね」
「まあ、正直、僕はもう少しやられるかと予想していましたけどね」
 僕はあえて他人事のように言った。
「パカ、いい加減にしろ! 君たちは我々の防御トラップにいくら予算をかけていると思ってるんたっ!」
 隊長のヘタな物真似だ。我々のボスたるケイリン氏の個性的な特徴を、つかんでいなくもないけれど。
「隊長、その中華部長みたいな物真似は、やめません?」
「うるさい。たいたい君たちは、いつも予算的事情に無頓着すぎるんた」
「で」とリサは隊長の物まねを無視してクールに聞いた。「三人で行くの?」
「そうた、その通りた!」
「はいはい、僕は、いいっすよ〜」
 僕の休憩はまだだったけれど、こうなったらやけくそだ。
「オレたちは三人で十分た! たいたい電脳戦は人数多くても足手まといになるたけた」
「あら、隊長、今度は予算のことは言わないのね?」
 リサが冷めた笑みを浮かべた。
「けっ、NENAのボケ部長といっしょにすんな」と隊長はケイリン氏の真似をやめた。「オレ様だって現場の人間だぜ。わかったら行くぞ。オレたちで化けの皮を剥いでやる。フォーメーションD2《ディーツー》。リサは防御、ユキオは解析に回れ」
 僕はちらっとリサを見て苦笑した。
「考えてみれば、僕たち三人がNENAの未来をになう突撃隊っていうんだから、もう少し給料あげてもらいたいよね」
「リアルの贅沢になんか興味ないわ。私、先に飛ぶから」
 一〇万種を超える防壁ソフトで武装したリサの意識が、使い込んだローブ(手神経感応装置)を経て、オーヴェリクスの仮想空間に消えていった。
 相変わらず、せっかちなお姉さんだ。

 乱れ飛ぶ変数の解析。
 我々は必ずしも味方側の『解』を知らされているわけではない。そのため、相手側の解析と同時に、必要に応じて味方側の解析も並行して行っていくことになる。とはいえ、実際の計算はほとんど僕の用意した自動プログラムとAIオペレーターが担ってくれるので、自分はその全体掌握につとめるのが主な役割だ。
 もちろんNENAの基幹部に介入しようとしてくる外からのプログラムは、オーヴェリクス経由で、NENAのローカルマトリックス用にコンパイル《言語変換》されてやってくる。
 僕の腕の見せ所は、そのプログラムのオリジナル・プラットフォームを推察することだ。その正しい特定により、チームとしての攻撃も、守備も、がぜん優位になる。

「隊長」
 と僕は電脳空間の中から通信を送った。
「どうした、ユキオ」
「なんか、おかしいと思いますね」
「どういうことだ?」
「やつらのルーツは、きれいに分散しています。ローレルパーティ、イラーフ・クジン、BGワークス、ホワイトモスクワのバージョンX、さらに華僑系のマイナーグループも」
「そりゃそうだろ。フェスト予告は国際協定に反する重罪、身元がばれたら即お縄よ。いろいろ手は打ってるはずさ。しかし、そこから主人を特定するのが、君の『お仕事』ってもんなんじゃないかい?」
「わかってますけど、しばらくは無理っぽいですね。フェストといっても、あまり便乗は多くないので、表層モジュールの主体は見えているんです。でも、やっぱり深い解析は許してくれません。餌にもあまり食いつかないし。ただ、傾向として、ウラジオストック派のようなニオイはします」
「なんだ、軍人上がりの殺し屋サイボーグたちか?」
「なんとなく、ですが」
「おまえの直感はバカにできねえからな。しかし、やつらがオーヴェリクスまで手を出してるなんて、聞いたことがねえぞ。電脳戦は専門外のはずだぜ」
「最近は、そうでもないといううわさ、ありますよ。日系武器商人とも、連携し始めているとかいないとか」
「うわさは、うわさだ」
「そうですけど、もういっぱしの浮動サーバくらい確保してても不思議じゃない。本当ならやっかいな話です。純粋な悪は『均衡』を無視してきますからね。ま、面白いと言えば、面白いけど」
「くそ、部外者はおとなしくしてやがれ」と隊長は悪態をついた。「リサ、そっちはどうだ。なにかつかんだか?」
「実戦的ね」
 電脳空間を飛び回るリサからのメッセージが、古い人口音声のように響く。
「おまえ、『的』じゃなくて、これは実戦そのものだ」
「攻撃のタイプが違うのよ。純粋なハッカー集団なら、もう少しかしこくふるまうわ。いちいち無駄が多すぎる。『部屋』ばかりあちこちに作って」
「難しい問題でもあるのか?」
「難しさなんて、なにもないわ」
「しかし、そのわりには苦労してるみてーじゃねえか」
「だから『強い』のよ」
「何が?」
「さあね」
「パワー変数の連鎖か?」
「わからない」
「オレもおまえが言うこと、さっぱりわからん」
「いいから、早く突破口を見つけて。こいつら、私の好みのタイプじゃないわ」
「わかってる。実はもう、見つけてあるんだぜ。あとはタイミングだ。防壁機能が拡散して手薄になったところを狙う。場所はPW44の第六ゲートから逆コンパイルだ。シッポはつかんだ。一○秒はもたせろよ」
「そんなに? 牛でも送り込むの?」
「ガタガタ言うな。もうすぐだ。あとひとつ……よし。ゴー!」
 予告した場所に骨太の隊長の像が現れ、すぐに敵のプログラムに介入を始める。今回は11と37を組み合わせた変則バイトレートだった。隊長の得意技である変則バイトレート介入は、重戦車のように敵の防壁を浸食していく。このえげつない神業《かみわざ》を、短時間で解析・防御できる人間は、おそらく世界中さがしても数人しかいないだろう。
「うむ、ユキオの言うとおり、確かにウラジオストック派っぽいな」
「隊長にもわかりますか?」
「ポドロフ、グスタチノフ、スコルフスキ、やたら懐かしい名前が転がってやがる。キツネみたいなすばしっこいやつもいるな。よく見えねえが、確かにいる。なんだこりゃ? ま、攻撃してこねえやつは無視、と」
 この突破により、戦況は我々に優位に傾いたはずだった。隊長が敵のターミナルサーバまで辿りつき、リサがワイドにサポートし、僕が複数の新情報に接して喜びの声をあげかけた……そのとき、予想外の出来事が起きた。
 僕はいきなり強烈な光に包まれた。『高圧電流』だった。比喩ではない。文字通りの高圧電流トラップだ。視界が白く飛び、なんとかリアルにもどったときには、横のシートで痙攣しているリサが目に入った。
 僕はコンソールを飛び出し、彼女の身体をシートから落ちないように抱き留めた。
「リサ! しっかり!」
 返答はなく、大きく見開いた両目がピクピクと震えている。こわばった上半身を支えていると、匂いで失禁したのがわかる。リサは完全にやられていた。
「隊長……」
「くそ、なんてこった!」
 隊長は感情を押し殺し、電脳戦部隊への警告と、医療スタッフへの救護要請を発した。
 フェストの主犯は、我々の侵入を察知したからか、この置きみやげを最後にNENAから撤収していた。ネットの便乗者たちも事態を察して逃げ去り、室内のAIオペレーターたちも一台ずつ平時対応に戻っていった。
 後味の悪い奇妙な静寂。
 まもなく通報をうけた医療スタッフたちが走り込んできた。硬直したリサの身体を手早くストレッチャーに移し、その場でシャツとブラを切り裂き、バイタルモニターの端子を装着していく。モニターのディスプレイを確認したドクターは、酸素使用を指示し、首に消毒薬をぶちまけ、頸動脈に薬剤を注入した。
「おい、助かりそうか?」
 隊長の声が震えている。
「心臓は動いている。息もしている。今言えるのは、それくらいだな」
「脳は?」
「わからない。電脳を落ち着かせるのが最優先だ。しかしリサといえば、我が社でも実力ナンバーワンだろ。いったい何が起こった?」
「クラナドアタックだ。無粋なまねしやがる」
「クラナドアタック?」
「ああ。低いパルスのコードを選んで、多方向から同じタイミングで受信させるやり方だ。ピンポイントで波長が合えば、理論上は電脳だって焼き切れる」
「古めかしい方法に思えるが?」
「原理は古いが、タイミングを合わせるのは楽なことじゃねえんだ。マトリックスを越えて実体まで正確に把握する必要がある。悔しいが、こんな精度はオレだって初めてだぜ」
「確かに、攻撃は実体に届いたらしいな」
「リサはコンデンサーを『鈍くなる』と嫌っていた。生の脳までやられてなければいいが」
「だいぶ深そうだ。危険かもしれない。すぐに医務室で精査しよう。いいか?」
「さっさとやってくれ」
 ドクターはスタッフに指示を出しながら、自らストレッチャーを押して出口に向かった。去り際に隊長を振り返って言った。
「ま、とりあえずマザーは守られたようだな。おめでとう」
 ドクターの皮肉に、隊長は手元にあったコーヒーカップを壁に投げつけた。
「アタリめーだ、バカ!」

 医療スタッフが去ると、僕はオペレーターたちにデータのバックアップを指示した。このような形で終了する電脳戦は初めてで困惑したが、とにかく解析できないものは圧縮をかけてストレージ行きにするしかない。わかりかけた主犯の特定も『ウラジオストック派の匂い』まででストップだ。
「隊長」
「なんだ、ユキオ」
「まさか、やつら、最初から『これ』がねらいだったんじゃないでしょうね?」
「赤毛の性悪女をやるために、こんなに大がかりなフェストを用意したってか。くそ、上等じゃねえか」
 考えすぎかもしれないが、リサはここのところ『手柄』を連続していた。目をつけられていても不思議ではないし、周到な用意がなければリサに致命的ダメージを与えるなど不可能なはず。
「次はどうします?」
 僕の問いに、隊長はにやりと笑みを浮かべた。
「次なんてもんは、ねえよ。こいつはまだ終わっちゃいねえ。終わらせるわけがねえ。今度はオレたちから仕掛けるぜ」
「いつ?」
「おまえ、まだ休憩のこととか考えてんじゃねえだろな。今にきまってんじゃねーか。今!」
「マジっスか? リサがいないのに?」
「さっさとデータを取り込め。終わったら、ヘリポートに急ぐ」
「は……はぁ?」
 僕はてっきり『悪い冗談』と思った。
「今からはリアルの実戦だ。殴り込みだ!」
「た、隊長、リアルの実戦って、まさか生身の身体で乗り込もうっていうんじゃないでしょうね」
「その通り!」
「どこに?」
「さあな」
「さあな、って……あの……僕たち、電脳部隊ですよ」
「そんなことはわかってる。ケイリン部長は承認済みだ。というか、これは部長の御命令だぜ。NENA直属の『紅舜《こうしゅん》』が出動した。やつらにはターゲットがわかっているらしい。一五分で着くから合流しろってよ。おまえも急げばトイレぐらいは行けそうだ」
「コウシュン? それって、まさか、世に言うクリムゾン・ファングじゃないですよね」
「そうだが、何か?」
「ジャワ島事件で投入された裏の実戦部隊?」
「そういうことだ、がはは」
「『がはは』って、そんな、冗談でしょ……」
 僕は鳥肌が立った。僕の情報が確かなら、宗教対立に端を発したジャワ島事件での死者は、ゆうに二○○人を超えている。事件全体の広範さに比べれば、それでも一部の犠牲にすぎないが、ジャワ島での犠牲者の多くは僕と同じ電脳スタッフだった。だからこそマスコミが流さない裏情報が、我々の間で密かに流布された。血塗られた恐怖迷路の最深部を白日のもとにさらした、恐るべき精鋭部隊の存在を。
「そんなやつらと、なんで僕たちが?」
「リベンジにきまってんだろ」
「いや、そういう問題ではなくて……」
 とにかく僕はあわてて作業を始めた。そうとなっては時間が足りない。手の平からケーブルを引き出し、コンソールのジャックに差し込んだ。選別しているヒマはない。まるごと記録を持ち出すことにする。
 体内に埋め込んであるストレージへのデータ転送は、簡易なものなら数秒だが、スタンドアローン《独立環境》を選択すれば数分以上かかる。特に今は戦闘直後なので一○分を超えるかもしれない。もちろん今一番重要なのは、その『雑然としたもの』の保持だ。一般的なデータは作戦室の外からでもアクセス可能だが、レアデータに関しては本社のプロテクトが働くし、裏の実戦部隊となればオーヴェリクスを遮断していることも考えられる。
 研修では経験していたが、実際にスタンドアローンを視野に入れてデータを持ち出すなんて、僕は初めてのことだった。
 データ移管を僕にまかせた隊長は、作戦室隅の冷蔵庫からビン牛乳を取り出して、キャップを開け、腰に片腕をあてた姿でぐびぐびと飲み干した。
「いや〜、しかし『紅舜』が出てくるとはな。うむ〜」と隊長は唸った。「好むと好まざるとに関わらず、ローカルバトルの域を超えてしまったようだ」
「そんなの超えなくていいです」
「うるせえ。これは実戦だ」
「ていうか、僕、今日は洗濯物をベランダに干したままなんですよね。シーツとか、タオルケットとか」
「はあ?」
「一日じゅう秋晴れのいい天気だって予報が出ていたから」
「昨日から干しっぱなしか?」
「違いますよ。朝、洗濯したんです」
「おいおい、最先端の電脳戦士が自分で洗濯してご出勤か?」
「僕なりに早起きして気合い入れてきたわけっス。だって、お日様を受けてサッパリ気分、大切でしょ? 夕方には帰れると思っていたのに。早く帰って、お肉焼いて、ワイン開けて、フカフカのベットで、ギャルゲーに心ときめこうって、あんなに強く心に誓ったのに」
「がはは、そいつはおもしれえ冗談だ。あとで『紅舜』のやつらに教えることを許可する」
「こんなので笑ってくれる人たちならいいんですけどね、本当に」
 僕はため息をついた。リサがやられて、生身の実戦なんて、こんなことになったのも、僕が珍しく早朝洗濯なんかしたからか……


 ヘリポートへ向かったからヘリコプターだろうと思ったが、空から響いてきたのは明らかに航空機のエンジン音だった。鉛色の機体が上空に確認できると、まるで墜落するかのように急角度で下りてきた。急降下爆撃を受けるときはこんな気分になるのだろうか。走って逃げたくなるが、足が硬直して動かない。
 機体は間近に迫ると、爆発的音響と共に機首を上げて減速した。胴体下部から車輪を出し、ほぼ水平状態で降下してくる。それは大型のブイトール(垂直離着陸機)だった。両翼の付け根に垂直ファンが内蔵されているのがわかる。
「おいおい、まじかよ! すげーのがきやがった、がはは」
 隊長は垂直降下の強風を受けて子供みたいにはしゃいだ。
「冗談みたいに大きいっスね。はみ出していますよ、ヘリポートから」
「ユキオ、こいつはすげーぞ。昔の軍用タンデムロータークラスの浮上性能に、ジェット機としての航行速度を両立させた幻の機体だ。幻ってのは、金がかかりすぎて量産は断念した、って意味だぜ。まさか本物にお目にかかれるとは思ってなかった。広い機内に電子戦装備も満載だ。腕のいい戦闘機から目視でバルカン撃たれたらアウトだろうが、そうでもない限り無敵と言っても過言じゃねえ」
「隊長、よだれ、たれてますよ」
「うるせえ。ああ、この興奮! おまえにはわからねえだろうな」
「わかりませんし、わかりたくありません。僕はむしろ、ふつーうの機体でいらしてもらった方が気が楽でしたよ」
『巨大』とも感じられる機体が奇妙な素速さで着陸すると、底から簡素なタラップが伸び、男が半分下りて手招きした。吹き乱れる風に翻弄されながら、我々は頭を下げて機体に近づき、フレームに手をかけてよじ登った。
 タラップの収納を待たずに、機体は轟音と共に浮上を開始した。強いGを感じて機内の手すりをにぎり、足を踏ん張る。みるみる遠ざかる眼下のアスファルトに鳥肌が立ったところで、ようやく扉が閉まり、機体は安定した前方への加速に移った。
 機内中央には開けたスペースがあり、コクピットを隔てる壁面に大型モニターが埋め込まれていた。折り畳み式の簡易シートがいくつか据え付けられている。
「お二人ですね?」
 それは丁寧な言い方だが人工声帯特有のこもりがあった。
「そうだ。NENA情報戦部ネットワーク対策課・分室A。オレは森アリマサ、こっちは北見ユキオ」
「このたびは急な招集、お疲れさまです。私は那須隆俊《なすたかとし》。ケンザキ・ジブを紹介します。どうぞ、こちらへ」
 僕はふと、嬉しくなる。『ジブ』というのは、子供の頃に遊んだネットワークゲーム『アニマル・マトリックス』で使用されていた階級名だ。日本語なら少佐を意味する。おそらく『紅舜』が正式な国家軍隊ではないので、そういう呼び名を使っているのだろう。手すりにつかまりながら中央に移動すると、長身の痩せた男が近寄ってきた。
「私がリーダーのケンザキだ。今後の行動に関しては全権まかせられている。もちろんネットにもぐり込んでからは、森隊長が専門だ。それまでは、な。我々の電脳戦担当は、こちらのミヨン(美読)。協力して事に当たってもらいたい」
 コンソールに向かって着席していた黒髪の女性が振り返った。
「どうぞ、よろしく。森隊のうわさはかねがね耳にしている。会えて嬉しいわ」
 差し出された手を握ると、そのたくましさに驚かされた。ミヨンはレザースーツを着た筋肉質の女性だった。(どこまで機械化しているのかはわからないが)
 ケンザキ・ジブが説明を続けた。
「我々のローカルサーバは『ムラサメ』。スタンドアローンでS3000レベルの稼働能力を誇る。単体でリアル、マトリックス共に十分な戦闘能力を確保できるし、自己監視用に国宝級オールドチップも搭載している。おまけにこいつ、自分でブイトールを操縦してどこにでも飛んでいく。そして、普段我々が利用する通信端末はこれだ」
 ジブが壁面からラックを引き出すと、ボード型の端末が複数見えた。
「『イワト』と呼んでいる。コネクトは一般的なローブ(手神経感応装置)タイプなので、オタクらもすぐに使えるはずだ」
「これは使ったことねえな」と隊長は首を傾げた。「ちょっと試してみてもいいか?」
「その前に、仲間の紹介だけ済ませておこう。最初に君たちを案内したのは那須、武道が専門だ。奥で武器を磨いているのはガンマニアのボウスー、操縦席にいるのがパワーファイターのザファル、そして電脳専門のミヨン。以上、アンドロイドをのぞけば、五人のチームだ」
「あれ、そんなもんだったか?」と隊長は首を傾げた。「すくねーな」
「荒事は少人数の方がキレがいい」
「ちげーねー」
「オタクらこそ、二人だけか?」
 隊長は悔しそうに口をゆがめた。「ああ。一人、やられたからな」
「それは聞いている。赤い髪の優秀な隊員がクラナドアタックを決められたらしいな」
「お恥ずかしいハナシよ」
 ケンザキ・ジブは森隊長の肩に手を置いた。
「しかし、そういう被害があるから、我々が行動しやすくなった。このチャンスを待っていたのだ。一時間でサハリンに着く。しばらくは自由にしていてくれ」
「サハリン?」
「そうだ。説明は後ほどしよう。まずは、『それ』だろ?」
 とケンザキ・ジブは通信端末『イワト』を指さした。
「あと数分で上昇が落ち着くから、ゆっくり試してみるといい」
 そして前方のコクピットに戻っていった。
「おい、ユキオ」
 と隊長は小声で言った。
「なんですか?」
「あいつがリーダーか?」
「そうみたいです」
「うむ……」
「もっとマッチョな男を想像していました?」
「そりゃ、するだろ。なんてったって『紅舜』だぜ。実戦強襲部隊だぜ」
 僕たちは最新のサイボーグ技術がどのように進化しているかについては無知も同然だった。その優秀な実力は、やがて実戦で目の当たりにすることとなる。






top next>>